Das ist schwer
今回は久しぶりにヨーロッパへ行き、その時に感じた言葉に関することをつらつらと書いていきたいと思います。
久しぶりのドイツ、イタリア
コロナが明けてヨーロッパへ旅行することとなりました。僕がドイツにいてた頃よりユーロが30-40円ほど高く、旅行に最適な時期とは程遠く感じました。ドイツとイタリアに行くということなので、ドイツ語とイタリア語の復習を行く前にしていました。ドイツ語は学生時代にある程度の力はあったのですぐに勘は取り戻せましたが、学生時代ほどではありませんでした。イタリア語は独学でしていたこともあり、知識が断片的でほぼ一からのスタートでした。それこそドイツにいるときにイタリア人に少しイタリア語を教えてもらい、そこから勉強しただけなので、自己紹介も話せる内容もほぼ学生時代のままでそこから更新されていませんでした。ドイツ語はすらすらと理解できたのに対して、イタリア語はそこまででした。イタリア語に不安を抱えながら、旅行当日を迎えることになりました。
迎えた旅行本番
ドイツまでの飛行機は基本英語での対応で、ここについては特に問題がありませんでした。ドイツに着き、入国審査をドイツ語でチャレンジしました。以前のようにすらすら出てくることはありませんでしたが、無事入国することができました。問題はここからです。空港からホテルに着き、チェックイン時に不安だったので、英語で対応することにしました。昔であれば、ドイツ語一択だったのに、安パイな方を取りました。あの対応をドイツ語ですべてするのはやはり難しかった気がします。
レストランやお店ではドイツ語で対応して特に問題はありませんでした。ドイツにいる日数が長くなればなるほど、ドイツにいてた時の感覚を思い出し、ドイツ語を思い出したのですが、その時にはもうイタリアへ行かなければならず、戻り始めた勘もここでストップです。あと何日いればある程度回復したのか楽しみでしたが、ローマの旅も早くしたくて仕方ありませんでした。
ローマに着いて、空港から市内へ向かうバスで、バスに乗り遅れて乗せてくれてごねるも乗せてもらえず、腹を立てバスを蹴る人がいました。ローマのお出迎えは非常に強烈なものでした。
ローマに着き、街を散策したのですが、至る所に人がいっぱいいて、また何よりも暑かったです。イタリア語に不安があったので、大半を英語での対応にしていました。レストランでのやり取りをイタリア語で挑戦しましたが、以前ほど言葉が出てきませんでした。前のイタリア旅行のときは多少なりとも出てきたのですが、今回は全くと言っていいぐらい出てきませんでした。何ならドイツ語の方が出てきてしまったほどです。基礎がそこまで固まっていない状態だとすぐに語学力は落ちますし、まさしく瓦解という言葉がふさわしいのではないかと思うレベルでした。
イタリア語の基礎をしっかり固めるべきだったなと思うばかりでしたが、もう遅いですし、次、いつイタリアに行けるかもわかりません。近いうちに行けるのであればもう一度やり直したい気持ちでいっぱいです。前に来た時の方が楽しかった理由の一つに語学力が入っている気がします。現地語を話せるとそれだけで楽しくなりますし、現地の人ともコミュニケーションが取りやすくなります。それは過去の旅行を通して痛感していたことでした。
話は変わりますが、イタリア、特にローマではHidetoshi Nakataは最強の言葉だと痛感しました。中田英寿さんは今でもローマの伝説としてローマの人々の脳裏に焼き付いており、中田さんの話題でローマの人と簡単に仲良くなれます。中田さんのユニフォームがある方は是非着ていってみてください。恐ろしいぐらいの効果があります。
帰国してから早速英会話のレッスンがあったのですが、英語より先にドイツ語が出る状態だったのでいつも以上にうまく話すことができませんでした。ドイツにいるときに経験したことがあったのですが、この短期間でこんなことが起こるとは思いもしませんでした。しばらくこれはモードを切り替えるのに時間がかかりそうな気がします。。。
帰国後もイタリア語ブームはまだ去っておらず、ちょっとは熱が残っているので少し続けてみようかなと思っています。
最後に
言葉は話して覚えていくものというのが僕の考えで、それはどの言語にも共通することだと考えています。書く力ももちろん必要ですが、一番は話すことだと考えています。以前に台湾に行ったときに中国語の授業で習った単語が覚えられなかったのが、会話を通して一発で覚えられました。会話は時に非情な現実を突きつけますが、それ以上に得るものは大きいです。これはドイツにいるときにも痛感したことで、語学力を上達させる一番の方法は話すことです。話すことで相手に伝わっているかを知ることができます。自分の力を試すのに一番手っ取り早い方法だと思っています。しかし、先ほども書いたように悲しい現実が待っていることもあり、心が折れそうになることも少なくありませんが、めげずに頑張るとその先に待っているものがあるはずです。それこそ、中田さんはイタリア語がペラペラでイタリアへ移籍してもすぐに他の選手と普通にコミュニケーションが取れるほどの能力がありました。言語は話してなんぼと思っていますので、話せれば話せるほど楽しくなるのは事実ですし、自分もそういう経験をしてきました。ここでめげないように頑張らないといけないのも事実ですが、、、
なんか自慢話みたいに取られるかもしれませんが、結局どれも中途半端なんですよね~