「ペンフレンド」若者達の文通ブーム
「僕の昭和スケッチ」258枚目
ペンパル・ペンフレンド!
この言葉を聞いたことがある貴方はきっと昭和生まれ(笑)
昭和は文通ブームの時代だった。
文通は奈良・平安時代から始まっていて、今年の大河ドラマ「光る君」の中でも文のやり取りのシーンが何度も登場する。もちろん物語の中では恋歌の文だ。だから、文通は単なる通信というより「心を通わせる文」と解くほうが意にかなっているように思う。
それは、江戸・明治・大正と続いていくが、盛んになったのはやはり戦後で、雑誌の発刊数と大いに関係があるかと思う。印刷技術の向上によりカラー印刷が広まり、雑誌の発刊・販売数は鰻登りに上がり、ついには100万部を超える雑誌も登場する。そんな時代に巻末の読者ページに必ずと言っていいほど掲載されていたのが、ペンフレンド欄だった。
例えば、こんな感じだ。
「東京に住んでいるタイガースファンの人、お手紙ください!」
なんてね(笑)
文通経験
かくいう僕も2度ほど中一の頃に文通の経験がある。
相手はもちろんそういった文通欄で見つけた同年代の女の子!
だが、結果はいずれも2〜3度であえなく終了!(笑)
実際にやってみると、何を書いていいのかもさっぱり分からず、自分の文章力の貧弱さ、字の下手さにも我ながらウンザリしてあえなく沈没 (>_<) 💦
さて、実は当たり前の事なのだけれど、、、、
文通欄を見て手紙を出した方は1対1のつもりなのだが、ペンフレンド欄に文通相手募集の掲載を申し込んだ当人には最初は全国からかなりの手紙が届く。写真付きの欄で美人だったりすると、ビックリするほど届いたりもする(笑)すると、返事を一人一人に対して書くのも大変な作業となるのも自明の理というやつだ。
ましてや、こう言っては何だが、僕に限らず大抵は手紙・文章を書くことに慣れてはいない(失礼、、、!)。これは、成人でも同じことだ。
だから、結局多数に対して返事を書くのがうんざりするような仕儀になる、、、涙っつ(>_<) 💦
まぁ、そんなこんなで長く続く文通というのはまず滅多にない。
それでも、ペンパル・ペンフレンドという言葉は夢多き若者たちに支えられ、長く昭和の時代に残った。文通は、きっと全く害のない「健全な出会いサイト」だったのだ。
あな、懐かしや(笑)