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「ふる里の城」私の岐阜城

僕の昭和スケッチ」253枚目

<「私の岐阜城」 © 2024画/もりおゆう 水彩/ガッシュ 禁無断転載>

金華山を見上げる岐阜の街は僕の生まれ故郷だ。

その金華山の頂きには織田信長の居城「岐阜城」があり、麓には城下町が広がっている。

岐阜城は、元は稲葉山城といい本格的に整備されたのはマムシの道三こと斎藤道三の時代。その後、信長が山頂にある城や麓にある町などを整備し「岐阜」と改名したことにより「岐阜城」と呼ばれることになった*。

今日は、この一枚の絵を見ていただければ、僕はそれで十分。

東京から名古屋に新幹線に乗り、名古屋からは東海道線で岐阜に向かう。
岐阜の街が近づいてくると、車窓に遠く金華山と岐阜城が見える。
僕は、その次第に近づいてくる岐阜城を見るのが好きだ。

ふる里の城とは有難いものだ。
僕もそんな事を思う歳になった。


*何故「岐阜」と言うか.
岐阜城に居城を移すにあたって織田信長が城下町の改名も行った。この際、尾張の禅僧「沢彦宗恩」が進言した「岐山」「岐陽」「岐阜」の3つの中から岐阜を選んだといわれている。岐阜は400年間近く栄えた中国周王朝の発祥の地「岐山」の「岐」と学問の祖・孔子が生まれた「曲阜」の「阜」をもって「太平と学問の地であってほしい」との願いを込めた文字であり、これが信長の意に叶ったと言われている。こういった所に信長という人物の秀美が現れている。

*ちなみに、上の内の「岐山」の名を冠した高校が岐阜市にあり、これは私の出身校であり、県立岐山高校と言う。岐山高校は理数科に特化した高校として1958年に設立されたが、近年偏差値が些か下がってしまい、在校生諸君の健闘を祈るばかり。
在学中、遊び惚けていた私が言うのも甚だ憚られるが・・・(笑)

*この岐阜城は、実際の岐阜城を正確に写したものではありません。あくまで、絵画作品としての岐阜城です。念の為(笑)

©2024もりおゆう この絵と文章は著作権によって守られています>
(©2024 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)

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