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「天は人の上に人を造らず」若き日の福澤諭吉を描く
「僕の昭和スケッチ」画236枚目
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福澤諭吉
諭吉の肖像が一万円札になったのは昭和59年、もう昭和も終わりという頃だ。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言へり」
これは諭吉の「学問のすゝめ」の冒頭の有名な一文。
アメリカの独立宣言の序文『すべての人間は、生まれながらにして平等である』を諭吉が意訳引用したものだ。
だから最後が「、と言えり」になっている。
だが、「学問のすゝめ」はこの後以下のように続いている。
意外に知られていないのだけれど、、、
<要約>
けれど、社会というのは賢い人、愚かな人、貧しい人、富む人、身分の高い人、低い人がいて実際の所は雲泥の差がある。だからこそ、この世の不平等を打破するために勉学に励み自分を磨くことを勧める。
つまり、冒頭の一文とは逆にこの世の不平等を認め、それに立ち向かう為にこそ学問を勧めている。
明治の不平等
ここでいう明治の不平等とは今時の不平等とは訳が違う。
選挙権があるのは25歳以上で一定の税金を納める事ができる富裕層の男性のみ(これは当時の総人口の約1%に過ぎない)。もちろん女性に参政権はなくジェンダーフリーどころではない。
教育についても、経済的理由で殆どの人が中等以上の教育を受ける機会はなく、義務教育であった尋常小学校(現在の小学校の4年まで)にすら貧困のため通えない児童が数多くいた時代だ。教育を受けられなければ貧困から抜け出すことは難しく、貧困層を再生産するような社会だった。
この「学問のすゝめ」はそう言った社会に放たれた啓蒙書だった訳だが、果たして当時の社会でどれ程の貧しき人々がこの書物を開くことができたのだろう、、、?
思えば胸が傷む。
<モジリアーニ>
20世紀初頭のエコール・ド・パリ(パリ派)の画家。
同時代の画家にピカソ。
僕が若い頃になけなしのお金で初めて買ったのがこの二人の画集。
大好きだった。
*福澤諭吉
1835〜1901年 幕末から明治の啓蒙思想家. 慶應義塾大学の創始者. 北里柴三郎の「伝染病研究所」の創設にも尽力した。
一方で、福澤諭吉は一万円札にもなった明治の偉人とはいえ、イデオロギーや人柄については諸説ある。悪評を記した書籍もある。それはこの世の常だ。
<©2024もりおゆう この絵と文は著作権によって守られています>
(©2024Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)