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「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ265枚目 いつの世にもおかしなものが流行ることがある。 エリマキトカゲもその一つ。 「ただ大きな口を開けてバタバタと走るトカゲじゃないか、パンダやコアラのように可愛くもないのに何故???」 と呆れる向きもあった。 だが、そんな声を尻目にエリマキトカゲ君は瞬く間に大ブームを引き起こした。 そもそものキッカケは、1984(昭和59)年にTBS系列で放送されていた「わくわく動物ランド」でエリマキトカゲ取り上げられたことだった。 当時、日
「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ264枚目 昨年末にも火鉢の記事でお餅のことを書いたが、子どもの頃は本当によくお餅を食べたものだ。僕はお餅が大好きだ(笑) この歳になると人生全体で子どもの頃の方が圧倒的に短いのだが、お餅を食べた記憶の大半が何故か子どもの頃のものだ。 その殆どが祖母や母親と火鉢の炭火で焼いた餅の記憶で、本当にあれは美味しかった。 我が家は母方の在所の農家に頼んで餅をついて貰っていた。 小机ほどの大きな板状の餅が届くと二、三日おいてから四角く切り分け
「僕の昭和スケッチ」259枚目 雀は今絶滅危惧種に指定されています。 これは悲しいかな本当のことのようです。 昭和の頃までは、農村はもちろん、都市部でも街中の屋根瓦の上や歩道を飛び回っていた雀です。思い起こせば、僕がこのマンションに越してきた頃は小さな庭やベランダに確かに雀たちは遊びに来ていました。 しかし、そう言えば最近庭で庭で雀を見た記憶がありません。 雀にまつわる言葉 雀は人の住居のすぐ近くに暮らしており、人との関係も深く、古くから俳句などにも読まれていました
「僕の昭和スケッチ」画243枚目 童謡「たなばたさま」が好きです。 「ささの葉さらさら のきばにゆれる」 子供の頃は家並みが低くて、夜空にいっぱいの星がありました。 近くの小さな神社で毎年七夕祭りがあり、願い事を描いた五色の短冊を笹竹の枝に吊るして境内に向かったものです。 笹の匂い、星の輝き、夜の空気・・・ 笹舟を作って流したりもしましたね。 なんて、ゆかしい一日だったことでしょう。 *童謡たなばたさま 1941年 作詞/権藤はなよ 補作詩/林柳波 作曲/下総皖
「僕の昭和スケッチ」画241枚目 僕の実家では台所から裏庭に出たところに物置があって、中には雑多な古道具が打ち捨てられたように置かれていた。 ある時、そこから古いアイロンが出て来た。 見ると、所々に錆が入っておりコードの接続部にもガタがきていてアイロンとしてはもはや使えない代物だった。 それを見つけた経緯は忘れてしまったが、今思えば電気式だったので戦後の復興初期のものかと思う。 ちなみに、こんなふうに人間に打ち捨てられた古い道具(もの)には積年のうちに人への怨みが宿
「僕の昭和スケッチ」画240枚目 僕は昭和の時代のマッチ箱を描くのが好きだ。 デザインが可愛く、レトロ感もあり、描いていて楽しいのだ。 今回でシリーズ第三弾になる。 上の黄色い正四角柱のマッチなども懐かしい。 その左側のマッチもお寿司屋さんの定番デザインで全国に似たようなマッチ箱が幾つもあったように思う。 昭和のサブカルチャーだったマッチ君たち。 コレクションしている人もいらっしゃる。 わかる気がする。 懐かしいサブカルチャーだ。 第4弾をどうぞお楽しみに!(笑)
「僕の昭和スケッチ」画238枚目 上の絵は小学校の通学路に昔あった小鳥屋さんの記憶を描いたもの。 子供でも小遣いを数日貯めれば買えるような値段で売られている小鳥達もあり、命の安さに子どもながら驚いた記憶がある。 昭和40年代が最盛期だった小鳥ブーム。 柳ヶ瀬近くの街角にあったこの小鳥屋さんも今はもう無い。 今日はこの絵を見て頂ければ、僕はもうそれで充分。
「僕の昭和スケッチ」画237枚目 クリームソーダを男が喫茶店で頼むのはちょっとハードルがある。 馬鹿馬鹿しい話であり、今時こんなことを言うのも憚られるが、「男子たるものクリームソーダなんぞ頼んで良いのか」という躊躇いがある。 特に高校時代に喫茶店に行き始めた頃などは、なかなかクリームソーダは頼めなかった。何となく子供っぽく見られるような気がしたからだ。それに、そんな女子ども(失礼!)の頼むようなものを口にしたら、連んでいた仲間達に何を言われるか分からなかった。それで、コ
「僕の昭和スケッチ」画235枚目 ある時、大きな伊勢海老が我が家にやってきた。 客が土産に持って来てくれたもので、「塩茹でにするだけでええでね」と客は言って帰った。昭和30年半ば頃のことだろうか。 客が帰った後でお袋は言われた通り、大鍋に水を張り伊勢海老を入れるとガスに火をつけた。 湯が温まってくると、伊勢海老は苦しいので鍋の中でガタガタと鍋を揺らして飛び出ようとする。お袋は,「そうはさせじ!」と上から力一杯鍋の蓋を抑える。 鍋の中で苦しむ海老を哀れと思ったのか、そ
「僕の昭和スケッチ」画230枚目 「竹の子族」なる若者達が原宿歩行者天国に出現したのは昭和55年。 派手な服装でディスコサウンドをバックに彼らはちょっと奇妙なステップダンスを踊り原宿名物になった。竹の子族に憧れる若者達も次々に現れ、マスコミも大いに賑わせたものだ。もちろん、彼らに眉を顰める大人達もいた。 僕にとって竹の子族というのは、上のイラストのような感じだ。 個人的には別段竹の子族が好きとか嫌いは無く、世代差があってか、この竹の子族の奇抜なファッションには全く興味を
「僕の昭和スケッチ」イラスト229枚目 <学校給食> 僕らの時代の給食はそんなに美味しいものではなかった。 脱脂粉乳のミルク*が出されていた時代だ。 途中でチーズなるものが登場するが、これも臭くて石鹸のようだった。今の美味しいチーズとは似て非なるものだ。戦後の僕ら貧乏小僧を救おうと奮闘してくれた大人達には大変申し訳ないのだが、この脱脂粉乳とチーズは僕らを苦しめた二大悪魔だった。もう昼休みなのに、臭いチーズを細かく割って少しずつ飲み込んでいた女の子もいた。残すことは許され
「僕の昭和スケッチ」イラスト228枚目 不二家さんの名誉のために最初に言っておくが、フランスキャラメルは女子だけのキャラメルだった訳ではない。 もちろん、男子も買ってオッケー。 ジェンダーフリーだ(笑) でも、正直って僕は子供の頃にこのフランスキャラメルを買いづらかった思い出がある。 そりゃあ、なんて言ったってこのパッケージ! いかにも「女子!」 だよね(笑) 店内に並んでいるこのフランスキャラメルを手にして、恥ずかしそうに店のおばさんの所に持っていったのも懐かし
「僕の昭和スケッチ」画225枚目 以前にお届けした「昭和マッチ」の第二弾です。 昭和のマッチはデザインが可愛く、レトロ感もあり、マッチの絵を描くのがすっかり楽しくなってしまいました(笑) 絵の中央付近に書いたのはラブホテルのマッチ。 こういった類のものを持って帰ると、災いの方が多いように思うのですが、、、、(笑) 黄色いカナリアのマッチなどは、定番で同類のデザインのものが全国に幾つもあったのでは? 調べてみると黒ネコも酒場のマッチにたくさん登場している。 昭和のサブ
「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ224枚目 この記事は、先日の「フォークギター1本あれば/昭和の歌」の続きです。 大学紛争や反戦運動も終わりを告げた頃に僕らは上京した。 わずか数年前の事なのに、若者たちが引き起こした新宿フォークゲリラ(1969年)などまるで嘘のように静かな新宿の街だった。駅の構内にはTVで見たような反戦ビラを持った若者の姿はなく、京王デパートの前に手製のネックレスや安っぽい革製品を売るフーテン*が座っていた。流行りのロングベストを着て。 さて、一世