気にし過ぎ
自分でそう思うこともあれば、誰かにそう言われることもあった。
気にし過ぎだよ
そこは気にしなくていいから
そんなに…
良い意味では言われないし、良くないという思い込みもあって、そのときの感情や思考をないものにしようとしていた。
それが習慣になり、自分の気にし過ぎな感情や思考を表に出さなくなった。
本来感じているもの、思考を否定するということは、本当の自分を生きられていないということ。
表に出しているのは本当の自分じゃないから、表と裏は違うから、当然分かってもらない感が付きまとう。
気にし過ぎて感じるものも、思考も、自分のものなのに…
それを必要のないものとして扱うことが、どれだけ自分を傷つけ、生きづらくするか…
誰かに理解してもらう前にすることは、自分が自分を理解すること。
「気にし過ぎ」る自分を理解してあげること。
他人に何を言われようが、気にし過ぎて湧く感情も、気にし過ぎて湧く思考も、「気にし過ぎ」ということで、終わらせない。
自分で感情を味わったり、思考を柔軟にしたり、体も心もケアすることはできる。
自分に合った気にし過ぎない対策だって、環境だって選ぶことができる。
その方法はたくさんある。
私もそうやって上手く付き合えるようになってきたし、だからこそ得られるもの、その気づきが増えているように感じる。
「気にし過ぎ」もなかなか良い。