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わたしたちはどのようにして自閉スペクトラム症の計算論的精神医学から学ぶことができるのか(4) ー自閉と計算論ー

前回からだいぶ時間が空いてしまったが、みなさんには楽しんでもらえているだろうか。ここからは、前回までの仮説が正しかった仮定したときに、仮定に仮定を重ねて自閉スペクトラム症の場合に対応するようなモデルを設定できるかという議論に入っていく。
念のために確認しておくが、階層的予測誤差最小化は仮説であり、まして自閉症の脳で実際に何が起こっているかはまだわかっていない。しかし、仮説を持たずに科学が前進することはありえないので、まず可能かも知れないモデルを考えていくことも必要かと思う。検証は後の段階になって必要になってくる。

予測誤差と予期の精度

さて、自閉スペクトラム症の特徴を考える前に。まず、階層的予測誤差最小化モデルにおける、精度予期の問題について話さなくてはならない。
人間の脳のような予測誤差最小化を行っているシステムは、感覚入力のある特定の値を予期するだけでなく、その分散をも予期するというのだ。

そもそも、このシステムは外界との相互作用に起因する感覚入力を予測するようにできているが、外界やシステム自身の内部的な状態の変化によって、この感覚入力そのものの信頼性や精度が大きく変化してしまうことがありうる。

たとえば、筆者にとって馴染み深い計測装置である脳波計で記録を取る場合で喩えてみると、脳波計は頭皮上で測定される微弱な電位の変化を測っているのだが、注意深くノイズを減らすように装置を調整しても、たとえば発汗などによる電極の抵抗値の変化、筋肉の緊張に関連した末梢からの電位や、心臓の規則正しい収縮に関連した電位、交流電源などからの電磁的影響など、ありとあらゆるノイズが混入してくる。専門家は、こうしたノイズが多い脳波記録を判読するときには、ちょっとした変化の特徴を読み込みすぎていわゆる「オーバーリーディング」にならないように気を付ける。逆にノイズの少ないきれいな脳波記録であれば、僅かな徴候も逃さずに捉えるように注意することが許されるだろう。こうやって、わたしたちはノイズの多い外界からの情報に対して、その精度を意識的に考慮して取り扱っている。

ところで、わたしたちの前意識的な情報処理で働く予測誤差最小化においても、このような精度に関係した制御があるはずだとホーヴィは主張する。このために、わたしたちのシステムは、予測精度を学習して予測しなければならないことになる。これは、知覚推論についての推論、すなわち二階の知覚推論ということになる。

このことを前回のお猿さん軍団で言うと、下位のお猿さん集団の報告する
値だけでなく、このお猿さん達からくる情報の”精度”についても上位のお猿さんはあらかじめ予期しなければならないということだ。なぜこれが必要かというと、信頼できない情報入力によって学習してしまうと、全てがめちゃくちゃになってしまうからだ。そこで各階層のお猿さんは、感覚入力の信頼性が高いと予測した場合に限り、値の予測をするやりかたを変化させて新しい入力に適応した学習をしようとする。逆に、信頼できないと予測した場合には、その下位からの入力を相対的に無視する方向に調整する。

このような感覚予測の階層の中で、下位のユニットはより局所的で時間的持続の短い単純な要素を表象し、より上位のユニットほど広範囲に妥当しうる時間的に変化しにくい安定した表象を保持することになる。したがって、感覚入力が信頼できないと予測した場合には、感覚入力に対応する下位のユニットが予測の仕方を変化しやすくすることで局所的処理をするユニットの学習による調整が優先しやすくなることが期待されるし、反対に感覚入力の精度が非常に高いと予測される場合には、全体的な高次の表象を生成する高次ユニットでの入力において適応するための学習が優先的に行われるということが必要になる。このことは、”トップダウンとボトムアップのあいだで均衡を取ること”とも表現できる。

すこし話はずれるが、このようなダイナミクスを表現するために、かつてピアジェは、”同化”と”調節”という概念を用いた。同化というのは、既に学習したものを使って行動を組み立て外界に働きかけることである。調節というのは、このような予測に基づく行動のやりかた(シェーマ:図式)を外界との相互作用から学ぶことで変化させ学習することである。すなわち、ここでは同化がトップダウンに対応し、調節がボトムアップに対応する。そうすると、ピアジェ派の考え方からいえば、トップダウン処理とボトムアップ処理は常にセットになって同時におこっている出来事ということになる。

自閉スペクトラム症の特徴と予期の精度

自閉スペクトラム症の認知の特徴については、以下のような5つの有力な仮説があることを別の稿でも述べた。

1)心を読むこと(mind blindness)
2)社会的であろうとする動因(共同注意)
3)脳のミラーシステム(模倣など)
4)弱い求心性統合(weak central coherence)
5)遂行機能(executive function)の障害

出典:「ウタ・フリスの自閉症入門」神尾・華園訳 中央法規出版 2012 より改変して引用

本稿で主に問題とするのは、4)の弱い求心性統合という特徴である。中心性統合というのは、”全体としてのまとまり”という意味で、日常の言葉で言えば、ふつう ”文脈” と呼んでいるような全体性の中に個別のものを ”まとめる” ことができる能力を示している。

階層的予測誤差最小化の立場に立ったとき、このような能力の障害はどのようにして起こりうるだろうか。ホーヴィによれば、”非常に精度の高い予測誤差を予期する知覚者は、外界のノイズがより多いと予期する知覚者と比較してボトムアップ予測誤差のゲインを増加させ、相対的に事前信念よりも感覚に頼る”という。

ここで事前信念と言っているのは、高次の予測ユニットがモデル化にもとづいて算出している予測のことを指している。まぎらわしいが、普通の心理学でいうところの信念とは直接には関係がない。あくまで神経回路が行う予測の文脈における内部的な情報表現の話をしている。したがって、上記のことをより誤解の少ないように表現すると、「精度の高い予測誤差を予期する知覚者は、既に学習した高次の因果関係を参照するよりも、その場ごとの個別的な出来事にそのたびにあらたに出会ったかのように反応する傾向がある」とでも言った方が良いかもしれない。あるいは、「より高次の一般化ができないために、かえって単純で機械的な規則に従った対応しかできない」ともいえるだろう。

おそらくそればかりか、高い精度を期待するバイアスをもったシステムでは、精度の低い分散の大きい入力は学習の対象になりにくいかもしれない。その結果として、再現性が高い分散の低い入力を生み出すような対象ばかりが学習されやすくなってしまうかも知れない。ホーヴィはチェンとリプキンを引用して、”自閉症の人の脳は個別化を好み、早見表的な学習を行う傾向がある”という仮説について、このことを精度の最適化の違いの観点から理解できると指摘している。(この銭とリプキンの2011年の論文は、非常に重要なので興味のある方はぜひ参照していただきたい)

このことは特に、従来カナータイプと呼ばれていた古典的な自閉症の病像にはよく一致している。ラベリング的で羅列的な記憶の仕方、言葉に対する「文字通り」の理解、意味的処理に対する音韻的関連づけの優位、繰り返しを好むことなどはこのモデルでよく説明できると思われる。知的障害を伴わないいわゆるアスペルガータイプの自閉スペクトラム症の場合には、むしろ論理的・言語的な処理の方が個人内差として卓越している場合があり、単純に早見表的・ラベリング的な学習が優越しているといえない場合も臨床的にはあるが、この場合でも、さらに高次の複雑な関係の学習は障害されている場合があるように見える。たとえば、社会的状況や人間関係などの複雑な事象については、「遠くて不確実だが明らかに存在している因果関係」とでもいうべき一群の事象をパターン認知して把握することが困難であるように見えるのだ。このようなことも、どの処理水準から上の高次の予測誤差に偏差があるのかというようなことで説明が付くのかも知れない。

計算論的な理解をどう臨床に役立てるか

これまで、自閉スペクトラム症の精神病理学については、さまざまなことが言われてきた。日本語の文献としても、『発達障害の精神病理 Ⅰ~Ⅲ』星和書店(2018~2021)など多数の論考がある。ただ、これまでの考察は主に臨床的な観察に基づくものであって、このような観察を認知神経心理学的な知見と結びつけることに困難がともなっていた。

計算論的な自閉スペクトラム症の理解は、神経回路レベルでの理解を基礎として、認知神経心理学的な観点から発達障害のさまざまな精神病理を統一的に把握するための視点を提供してくれるかも知れない。診断基準にも含まれる、社会的相互作用の障害、同一性保持、興味関心の限局性、常同的な行動様式、言語発達の偏りは、このモデルで理解することができるし。診断基準には含まれないが既知である精神病理学的特徴としての、弱い中心性統合、社会的状況での感覚的圧倒と易疲労性、単語や知識の機械的記憶の強さに比較して弱い社会的意味の理解、運動学習の困難さ、文脈に依存する法則性の学習困難と予測の失敗なども同様に説明される。

特に、知的な遅れをともなう重度自閉症と、高知能のアスペルガー症候群とでは、心理学的な水準で見た表現型が大きく異なっているという事実は、多くの精神科医を悩ませてきた。以前にある大先輩から、「子どもの発達障害と、大人の発達障害は別の病気なのですか?」と質問されて、さすがに鋭い着眼点だと失礼ながら感心したことがある。たしかに、臨床的な感覚では直感的にみてずいぶんと違っているだろうと思うからである。これは大切な問題で、この”同じさ”と”違い”とが両方とも成立していることを、計算論的アプローチはうまく説明できるかも知れない。

階層的予測誤差最小化モデルを採用することで、精神療法・心理療法のやりかたにも変化が出てくるかも知れない。たとえば、以前に、『初発のイメージを捨てるということ』という話をしたが、これもある意味では、階層的予測誤差最小化モデルによって発達障害治療を考えることと関係がある。臨床的な働きの問題なので多少雑な話になるが、主観的なイメージの世界の中で、初発のイメージを捨てるということは、神経心理学的な作用としての情報処理のレベルでは、現在デフォールトになってる処理のモードを一時停止して、他の処理の仕方を探ることとつながっている。もしそうならば、初発のイメージを捨てるということは、高次の予測誤差計算のやり方を変えるために高次処理が学習するためのスイッチを入れることに相当する。高次の処理が変われば、それに随って自動的に低次の処理も変化していく。そういうことをひとが意識的努力や心理療法的な支援によって随意的に行えるようになるものかどうか、わたしたちはまだ明確な答えを持たない。しかし、それが不可能であると決めつける理由は今のところないように見える。

とりわけ、階層的予測誤差最小化モデルによる計算論的アプローチは、わたしたちに予測と精度の問題に注目するように促している。階層的予測誤差最小化モデルは、人間の正常機能を説明すると同時に、同じモデルが自閉スペクトラム症などの障害による正常機能からの逸脱についても説明してくれる。このことから、自閉スペクトラム症の症候を記述する際に、階層的な予測誤差と、その精度という観点をもつことで、臨床的観察をより精密化していくことが可能になることが期待される。実際に、自閉スペクトラム症者の社会的困難の大部分は、文脈依存の予測が失敗することと関連して記述することができる。今後の課題として、このような観点から文脈依存の予測の失敗の具体例を詳細な文脈情報を伴って数多く収集しながら分析することが必要となるだろう。

4回に渡る連載となったが。最後までお読みいただいた読者諸氏の辛抱強さに感謝したい。同時に、計算論的精神医学というこの新しい精神医学の分野をこれからも皆さんといっしょに探求していきたいと思う。

参考文献:
『新しい児童心理学』 文庫クセジュ ピアジェ , イネルデ 1969
『予測する心』 ヤコブ ホーヴィ 勁草書房 2021
”A learning-style theory for understanding autistic behaviors. ” Qian, N., & Lipkin, R. M. Frontiers in Human Neuroscience, 5, Article 77.2011
『間接プライミングを用いた自閉症の言語連想の研究』十一 元三  , 神尾 陽子 精神医学 40巻6号 1998


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