精神神経学雑感

「精神神経学雑感」に含まれる本シリーズの全てのテキストは、私的な試論としての性格から現状有姿で提供され、明示的にも暗黙的にも、正確性・適合性・可用性・安全性もしくは信頼性、および将来のアップデートや追加情報に関していかなる保証もありません。(鉄雲斎)

精神神経学雑感

「精神神経学雑感」に含まれる本シリーズの全てのテキストは、私的な試論としての性格から現状有姿で提供され、明示的にも暗黙的にも、正確性・適合性・可用性・安全性もしくは信頼性、および将来のアップデートや追加情報に関していかなる保証もありません。(鉄雲斎)

最近の記事

発達障害と姿勢のはなし

”姿勢が悪い”ってどうよ 神経発達症の臨床で、発達性協調運動障害のことは時々話題になるけれども、ふつうの精神科医は「姿勢」のことはあまり話題にしないような気もする。どちらかというと教育分野の人たちの方が、子供の「姿勢」の問題にやかましいようだ。そのことへの反発もあるのか「姿勢を正しくする必要なんてあるの? 」という意見があるのも気持ちとしては納得できる。 おそらく多くの人が、子供時代に「姿勢が悪い」と叱られた覚えがあるだろう。まして、大人になってまで「あなたは姿勢が悪い」

    • タブレット純からふりかえる「昭和」

      たまには、精神医学と関係ない話をしてもよいかなと思って、というよりも東京を離れてから落ち着いて過ごす時間が増えたので、精神医学以外のことを考える時間ができたということかもしれません。 わたしは、基本的にTVを全く見ないし、医者になってからは音楽も全く聴かなくなりました。もともと才能が乏しいので、他のことをする余裕がなかっただけとも言えますが。じつは、子供の頃はギターにあこがれて練習したこともあるし、ちょっとベースに手を出して自分のリズム感のなさに絶望したこともあります。もと

      • 諏訪湖の見える場所から

        ご無沙汰しております。おかげさまで新しい任地である上諏訪病院で働いております。東京からの引き上げでは多くの方に協力いただき、本当にありがとうございました。こちらに落ち着いてみると、東京での発達障害臨床の日々とはまた違う精神医療の姿に触れて、あらためて精神神経学の面白さを感じる毎日です。 上諏訪病院には図書室があって、すこし昔の精神医学の本もたくさんあるので、仕事の合間の待ち時間などにいろいろ読んでいます。たとえば、「分裂病・家族・個人」という Theodore Lidz の

        • 計算論的精神医学に入門してみた

          CPSYコース東京2023に参加してきたので、単なる感想だけれどもその話をしようと思う。 まず貴重な機会を与えてくれた主催者および参加者のみなさんに感謝したい。長年いろんなことをやってきたのでセミナーや研究会には慣れているが、このような密度の高いレクチャー・ディスカッションが実現することは稀だと思う。また、若い研究者や学生さんが多く意欲も高いので分野の将来性が感じられた。また全体として非常にオープンでアットホームな雰囲気の集まりになっており、関係者のみなさんの暖かいおひとがら

          わたしたちはどのようにして自閉スペクトラム症の計算論的精神医学から学ぶことができるのか(4) ー自閉と計算論ー

          前回からだいぶ時間が空いてしまったが、みなさんには楽しんでもらえているだろうか。ここからは、前回までの仮説が正しかった仮定したときに、仮定に仮定を重ねて自閉スペクトラム症の場合に対応するようなモデルを設定できるかという議論に入っていく。 念のために確認しておくが、階層的予測誤差最小化は仮説であり、まして自閉症の脳で実際に何が起こっているかはまだわかっていない。しかし、仮説を持たずに科学が前進することはありえないので、まず可能かも知れないモデルを考えていくことも必要かと思う。検

          わたしたちはどのようにして自閉スペクトラム症の計算論的精神医学から学ぶことができるのか(4) ー自閉と計算論ー

          社会的不確実性の精神病理へ向けて

          米田 衆介 (本稿の初出は、"Social Blindness" Vol.1 suppl.1 2015 pp.30-35 である。同人誌として発表されたが、発行部数も少なくすでに品切れのため入手困難と思われるので、ここに再掲することにした。前回のコンティンジェンシーに関する議論に関して読者からご好評をいただけたようだったので、その問題について扱った本稿が読者諸氏のお役に立つならありがたい) 1状況と不確実性 精神医学は、社会的な配置の中から精神症状を理解する試みを十分には展

          社会的不確実性の精神病理へ向けて

          聞く力というけれど

          計算論の連載の方は、年末年始に思ったほどまとまった時間がとれなかったので、月末ぐらいまで次回掲載は延期。今日は本当に雑談みたいなはなし。 年末に本を整理していたら、「聞く力」というのが出てきて、その本の内容は別にいいのだけれども、そういえば「聞く力」って何よ、と思った。 よその施設にお手伝いに行ってカルテを見ると、夜間帯に突然来院した患者の対応などで、「傾聴してお帰りいただいた」などと書いてあったりする。この記載の陰にはとても豊かなやりとりがあったのかもしれないし、そうで

          聞く力というけれど

          わたしたちはどのようにして自閉スペクトラム症の計算論的精神医学から学ぶことができるのか(3) ―予測誤差最小化ー

          前回までに、「人間の知覚体験は、内的モデルによる感覚刺激の予測によって成り立っている」というようなことを、視覚における不良設定問題を例に出して、ざっくりとお話しした。このような感覚刺激の予測は、神経回路がベイズ推論に相当する計算を実行することで実現している。この予測計算ユニットは、より要素的な感覚に対応する下位のユニットから、しだいに広域的な全体像を予測するユニットにむけて多段式の階層構造になっていて、最上位のユニットは解剖学的には高次連合野の神経回路に相当すると仮に考えてお

          わたしたちはどのようにして自閉スペクトラム症の計算論的精神医学から学ぶことができるのか(3) ―予測誤差最小化ー

          わたしたちはどのようにして自閉スペクトラム症の計算論的精神医学から学ぶことができるのか(2) ー予測する心ー

          前回は、心理学における「認知革命」から、パーセプトロンの話までだった。ちょうど、「心」についての新しい見方が生まれつつあった時代だったと思う。こうした変化によって、どうも心は単純に鏡に映すようなやり方で外界を認知しているわけではないようだという理解が広まっていったのだ。 年代はだいぶ遡るが、ピアジェの発達心理学を振り返ってみると、人間の認知の構造がどのようにして成立するのか、その発生をたどることによって明らかにしようという試みだったといえるだろう。もしかすると誤解しているひ

          わたしたちはどのようにして自閉スペクトラム症の計算論的精神医学から学ぶことができるのか(2) ー予測する心ー

          わたしたちはどのようにして自閉スペクトラム症の計算論的精神医学から学ぶことができるのか(1) ー石頭計算機から認知革命へー

          しばらく前から、自閉スペクトラム症の計算論的精神医学について書こうと思っていたのだが、よく考えてみると説明する前に色々と予備的に説明しておく必要のある事柄が多すぎて、簡単には取りかかれないことがわかってきた。 そこで、今回は計算機科学の発展に伴って心理学の分野でおきた『認知革命』と呼ばれる一連のうごきについて、予備的な解説をしておこうと思う。とはいっても、この問題にあまり興味のないひとにとってはあまりにも退屈すぎると思うので、ひとりの精神科医がどのようにそれを受け止めたのかと

          わたしたちはどのようにして自閉スペクトラム症の計算論的精神医学から学ぶことができるのか(1) ー石頭計算機から認知革命へー

          こだわりとルール

          自閉スペクトラム症のひとが示すこだわりを、説明のために「自分ルール」と表現することがあるが、よく考えてみると自閉スペクトラムの「こだわり」は、ルールというのとはちょっと違うのかも知れない。 あるいは違うというよりも、むしろルールという言葉には複数の違った文脈をもつ使い方があると言った方が適切かも知れない。それはたとえば、ひとつは規則性として自然とそうなってしまうということ、もうひとつは規範性として社会的にそうしなければならないということだ。自閉スペクトラム症でのこだわりその

          こだわりとルール

          精神療法を行なうにあたって科学的であるということはどういうことか

          若い精神科医のひとたちが、精神療法について迷うのは、「これって科学じゃないのでは・・・」という疑いを持つことも一因かも知れませんね。それはある意味で当たり前のことだと思います。それは、精神療法というのは精神医療の一つの実践の形ですが、それ自体としては科学そのものではありえないという事実があるからです。そう言ってしまうと身も蓋も無いようですが、それはひとつの技術であり生活に関与する実践であるということから必然的に導かれる結論であって、何も悲観する必要はないとわたしは思います。

          精神療法を行なうにあたって科学的であるということはどういうことか

          精神医学において生物学的であるとはどういうことか

          筆者は、精神医学において自他ともに認める生物学派である。ある意味で精神科医になったことについては偶然であったとも言えるかもしれないが、生物学についていえば、振り返ってみて生物とは何かという問題から関心が離れたことは一度も無かった。個人的な体験としては、小学校の時に読んだ牧野富太郎植物記とファーブル昆虫記、そして畑正憲先生の沢山の著書が生物学との出会いだったと思う。その時々で、SF小説に凝った時期や、人文学・社会科学に興味を持った時期、数学や物理学が面白くて仕方なかった時期もあ

          精神医学において生物学的であるとはどういうことか

          ADHDはどう診断されるのか

          診断というと、操作的診断基準を使うと考えがちだが、DSMのようなタイプの診断基準は必ずしも額面通りに機能しているわけではない。試しにDSM-5のADHDの診断基準から、不注意の項目を見てみよう。 診断基準:DSM-5より (1)不注意:以下の症状のうち6つ(またはそれ以上)が少なくとも6カ月持続したことがあり、その程度は発達の水準に不相応で、社会的および学業的/職業的活動に直接、悪影響を及ぼすほどである。 注:それらの症状は、単なる反抗的行動、挑戦、敵意の表れではなく、

          ADHDはどう診断されるのか

          発達障害の精神医学から了解を再考する

          精神医学は、応用科学としての医学におけるひとつの分野であると同時に、その現実の医療としての実践ゆえに人間についての学であることも求められている。この二つのことの関係が整理されないままに、自然科学としての精神医学と、人文学としての精神医学とが、水と油のように溶け合うことなく併存しているという状況が長く続いてきた。しかし、神経発達障害という精神医学の分野においては、患者の生活を理解しようとすれば、生物学的な水準での神経発達の障害と、そのひとの社会生活における出来事の有意味性との双

          発達障害の精神医学から了解を再考する

          初発のイメージを捨てるということ

          自閉スペクトラム症のひとの困難さのかなりの部分は、「初発のイメージ」を捨てて、イメージを変化させ続けることの困難さと関係しているのかも知れない。また高機能向けの話になってしまって申し訳ないが、ちょっと考えてみようと思う。 自閉症研究の歴史の中で、ローナ・ウイングの貢献を忘れることはできない。ウイングは、自閉症の特徴として「イマジネーションの障害」ということを指摘した。ものを並べる、特定の物を集める、同じ行動を繰り返すなどの“こだわり”と言われる行動の背景に、イマジネーション

          初発のイメージを捨てるということ