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『草枕』論4:父母未生以前の面目とはラカンの「他者a」

「父母未生以前本来の面目」とは夏目漱石の小説『門』で宗助にあずけられた公案で、実際には漱石が鎌倉の円覚寺管長釈宗演に参禅して貰ったものだといわれている。

その公案の回答が『草枕』である。

何故なら那古井温泉女将の那美さんの苦悶が「父母未生以前本来の面目」であり「父母未生以前」の家系にまつわる問題を解決することにあった。

「父母未生以前本来の面目」とはアイデンティティの問題である。

私はどこからきて何処へゆく存在かという問でもある。

その問いは自己の「他者a」の成り立ちに関する疑問にはじまる。

「他者a」とは決して満たされることのない格式とかプライドという欲望である。

この那美さんの「他者a」とは町内の馬子の源兵衛や茶店の婆さんたちの噂話である。

その噂話とは馬子の源兵衛の話によれば那古井温泉宿の何代も前のお嬢さんが那美さんと同じ境遇で池に身を投げたということである。

嬢さんと呼ばれる那美さんとってはこれは一種の欠如を意味することになる。

いま生きている人の誰も知らない那古井温泉宿の何代も前の話だから「父母未生以前」に違いない。

ということは今と成っては存在しない曖昧な記憶によるものだから、自己の鏡像「他者A」ではない。

しかし身を投げたところが池で「その時何でも一枚の鏡を持っていたとか申し伝えておりますよ。それでこの池を今でも鏡が池と申しまする」」といわれるのです。

もうおわかりになったと思いますが家名を汚す鏡だったから那美さんにとっては欠如であった。

「他者a」とは「他者A」と自我の中間に存在する欲望だから失われた栄光を取り戻すことにある。

それでは「父母未生以前」ではなく「父母未生以前本来の面目」であったのか「面目躍如」が加わっているのだ。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


引用参照は青空文庫です


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