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『無門関』第二十九則 非風非幡

「本則口語訳」

風で幡が揺れていた。

それを見ていた二人の修行僧の一人が幡が動いているといった。

するともう一人の修行僧がいやいや風が動いているのだといって両者一歩も引かなった。

それを聞いていた六祖慧能禅師が、風が動のでもなく、幡が動くのでもなく、見ている人の心が動くのだと言った。

評語

この公案は現代哲学の最も関心のある言語と意味の発生に関する問いなのである。

いわゆる西田哲学の純粋経験と主客未分を理解していないと上手く説明出来ない問いである。

二人の修行僧の見ているのは主体と客体を対立させ言語化した上でその関係を説明しているのであり、

その風と幡そのものを見ているのではないのである。

言語化される直前の純粋経験は概念化されないあるがままの姿そのままを見ると言うことである。

主体と客体が分かれる前に見えているのは、幡だけで風は見えていないのである。

風と言う言葉を知らない人が居るとしたらその人には風は存在しないのである。

風は言葉によって作り出されなければ意識に位置を確保できないのである。

見えない風を知るには現代では文字によって知ると言うことを意識していないかもしれない。

生まれて言葉を知らない乳児が、うちわで煽られると不思議がって笑うのを見たことがあるとおもう。

目にも見えない手で掴むことも出来ない風を感じるのは、風が身体に触れて通りすぎる時に何かを感じたからである。

乳児は風の存在を知らないのであり意識されていないのである。

乳児にとっては風の存在を知らないばかりか、自己の存在も知らないのである。

これは西田哲学の純粋経験であるり、主客未分の状態ということになる。

動いているのは「うちわ」でも風でもなく感覚のみであり意識すら希薄であろう。

ここから言葉による文節が始まると考えられる。

まず最初に「うちわ」という言葉を知らないと「うちわ」の存在を意識することさえ不可能であると考えられる。

さらに風は感覚としては夏であれば風の移動で少しは涼しく感じ、冬は寒く感じるだけで、風の移動自体は乳児は知らないのである。

風が動くと知るには涼しさや寒さ、暑さという感覚を風の移動に変換する必要があるのである。

例えばロボットに風を認識させるには風圧という圧力を空気の移動が生じていると学習させる必要があり、それは意味のへんかんである。

当然「うちわ」が動くという学習も時間と空間の関係の理解無くして成立しないのである。

「うちわ」が動くという表象と風の感触が注意の焦点の範囲に収まることが条件で因果関係が出来上がるのである。

言葉による文節とは注意の焦点の範囲に属する表象を分割することである。

因果関係とは言葉の文節により関係性が作られるのであり、因果関係が有って文節が行われるのでは無い。

だから風が動くから幡も動くのではなく人間の言葉の文節を待って初めて因果関係がうまれるのである。

それで六祖慧能禅師は人間の言葉が無ければ風は動ず幡も動かずという。

もちろん風が動きその風力で幡が動くのは科学的な実験によって証明されるのではあるが、

その仮説の出どころは人間の言葉の文節がなければ不思議な現象、超現象と思われているだけである。

とても解りにくいと思うので、西田幾多郎の『絶対矛盾的自己同一』を引用しながら解説してゆきます。

自己否定的に作られたものから作るものへと動いて行く世界でなければならない。(中略)現実にあるものは何処までも決定せられたものとして有でありながら、それはまた何処までも作られたものとして、変じ行くものであり、

上の文で「現実にあるものは何処までも決定せられたものとして有でありながら、」と言う意味は、風によって幡が動くという自然現象は人間が変えることの出来ない法則であるが、

その法則を理解すると言う過程はその個人が法則を作ってゆく「変じ行くものであ」るというのである。

無風という条件の基において風と幡はもともと何の関係もない存在であるが、風が吹くと風圧によって幡が動くと理解するには、

台風などの強風を体験してみて初めて実感するのであり、その体験無くして理論で説明することは不可能なのである。

体験するということは強風に遭うという外的刺激を風が動いているという概念に変換する作ると言う過程が行われているのである。

それは風と幡とのあいだに因果関係を認識するのであるが、個人にとっては認識するとは因果関係を作っているのである。

因果関係を作るという働きとは言語による文節が必用になるからである。

言語の無い動物にとっては風によって木や草が動くことが天敵の存在と感じられ、風と木や草とのあいだの因果関係を認識されないのである。

意味とは因果関係を確認して初めて生じるのである。



参照文献

『公案実践的禅入門』秋月龍眠著 筑摩書房
『無門関』柴山全慶著 創元社
『碧巌録』大森曹玄著 柏樹社
青空文庫を参照引用しました。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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