短歌24〜会うまでの時間
去年の秋から、短歌のオンライン講座を受けています。
月に一度の講座は、自分の短歌を評してもらえる唯一の場です。
毎回題詠が出されるのですが、前回は「遠い」または「近い」でした。
さて、このワードからどのような場面に発想を飛ばすか・・
1ヶ月かけて考えていきます。
今回私が詠んだ短歌はこちら↓
「近い」という言葉から、「近さ」と「遠さ」はそれぞれの感覚や場面によって表裏一体であるという点に着目して詠みました。
昔はスマホやメールなどありません。
前日、待ち合わせの約束をしてから現地につくまで、一切連絡を取り合う手段などなかった時代です。
道中で、「ちゃんと起きた?」
「予定通り着きそうだよ」
「ちょっと遅れる」
といったやり取りなどできるはずもありません。
今思うと信じられませんが、相手がちゃんと待ち合わせに現れるかどうか、行ってみないと分からない、そんな時代でしたね。
だからこそ、「片道一時間半」は会うまでのワクワクとドキドキをさらに演出してくれる十分すぎる時間だったように思います。
さて、私の詠んだ短歌は数名の方に選んでいただき、評していただくことができました。
とても参考になったのが、結句の「若き日の恋」というワードが少しフレーズ的な要素が強くなってしまってもったいないというご指摘でした。
確かに「若き日の恋」はどこかの歌詞で聞いたことのある、よくあるフレーズです。
もっと具体的に「10代の恋」とか年齢をいれてみてもいいかも・・
というアドバイスを受け、推敲したのがこちら↓
どうでしょうか。
具体的な年齢を入れて、さらに「恋」を季節「夏」に変えてみることで、
22歳の夏以降、近いと思えなくなってしまったのだろうか…
といった読み手への想像を掻き立てる歌になったような気がします。
言葉を使うということは、本当に難しいものですね。さらに勉強して、推敲して、深みのある短歌を詠めるようになりたいなぁと思います。
今回は恋する相手に会うまでの距離と時間についての読み方になりましたが、目的へのコスパという観点でも読むことができます。
★仕事へ行くまでの、片道一時間半だったらどう感じるか…
★絶景を見るための、片道一時間半だったらどう感じるか…
★同じ相手でも20年経った今、片道一時間半かけて会いに行く場合はどう感じるか…
などなど、場面はさまざま。
やっぱり言葉を扱うのは楽しいですね。
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