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秦徳純氏が盧溝橋事件発生の第一報を受けた時刻に関する考察

百年非 2024年11月11日 1937年7月7日夜、北平市(現・北京市)郊外の盧溝橋付近で夜間演習中の日本軍(支那駐屯歩兵第1連隊第3大隊第8中隊)に対し、同地に駐屯していた蒋介石率いる国民革命軍(第29軍第37師第110旅第219団第3営)の兵士が実弾を発砲したため、いわゆる「盧溝橋事件」が勃発した。当時、第29軍の副軍長であり、北平市長でもあった秦徳純氏は、盧溝橋事件発生の第一報を受けた時刻について、以下の回想録等において記述している。   記述その一 秦氏は『「

    • 「南京大虐殺30万人」の人数に関する考察

      百年非 2023年5月3日第一稿、2024年8月15日改訂  「南京大虐殺30万人」説で言及される犠牲者は、南京市民および南京戦に参戦した中華民国「国軍」(蒋介石氏が率いた国民革命軍)の兵士に限ると考えられる。ゆえに、南京陥落前後における市民の人口と国軍の死者数を明らかにすることは、「南京大虐殺30万人」説の正当性を検証するための重要な鍵であり、最も説得力のある方法であると考える。  この考察は、日本軍による組織的かつ計画的な殺害、いわゆる「大虐殺」の当否を検証するものでは

      • 南京戦における上新河遭遇戦の死者に関する考察

        百年非 2024年7月7日第三稿  南京戦における上新河遭遇戦の死者について、南京市政府傘下の「中国共産党南京市委員会党史工作弁公室」主催の「南京党史網」ウェブサイトが2015年1月4日に「侵華日軍南京大屠殺上新河地区遇難同胞叢葬地」という題名の文章を発表した。その中で「侵華日軍南京大屠殺上新河地区遇難同胞紀念碑」の碑文を引用して、次のように述べている。「1937年12月、中国侵略の日本軍が南京市を占領し、武装を解除した数多くの我兵士や上新河一帯に集まっていた避難民、合計2

        • 「劊子手的下場」に関する考察――「あの日、大雨が降っていた。」

          作者:百年非 2023年7月14日 初版 2024年7月1日 修正版  郭岐『陥都血涙録』(南京師範大学出版社、2005年7月発行、ISBN 7-81101-240-5)には、附録として劉方鉅(鉅の字は、同書の郭岐「自序」及び『黄埔軍校将帥録』の中で矩となっている。注記筆者。)「劊子手的下場」(殺人魔の結末)という文章が収録されている(同書172~187頁)。郭岐は「自序」の中で劉方鉅のことを「劉方矩将軍」と称しているが、実際には彼は陸軍少将である(注1)。  劉方矩は「劊

          盧溝橋事件に関する一考察

          百年非 2024年6月4日  盧溝橋(注1)事件は、日中全面戦争の導火線となった重要な出来事であるだけでなく、その後の日中全面戦争の性格および日本の国運を左右する性質を持つ、近代戦争史上の一大重要事件である。  蘆溝橋事件は、軍の中央・現地の不拡大方針にもかかわらず拡大の一途をたどり、さらには、支那事変、大東亜戦争へと展開して我が国を未曾有の敗戦に至らしめた原点となっているにもかかわらず、今なお巷では、解明されない多くの疑問を残したまま半世紀が過ぎ、中学校、高等学校の教科書

          盧溝橋事件に関する一考察

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          「南京路外灘の惨状」の写真に関する考察(20230815)

          「南京路外灘の惨状」の写真に関する考察(20230815)

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          「南京大虐殺犠牲者名簿の壁」に関する考察

          「南京大虐殺犠牲者名簿の壁」に関する考察

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          『劊子手的下場』に関する考察

          『劊子手的下場』に関する考察

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          『陥都血涙録』に関する

          作者:百年非 2023年7月7日 中華民国国民政府によって1946年2月15日に設立された「中国陸軍総司令部審判戦犯軍事法庭」(1946年6月、「国防部審判戦犯軍事法庭」へ名称変更。以下、「南京裁判」)が、1947年2月6日、谷寿夫(南京事変時の日本陸軍中将、第6師団長)に対する裁判を開き、3月10日、谷寿夫中将に対してB級戦犯として死刑判決を下した。同年4月26日、谷寿夫中将は南京で銃殺刑に処刑された。その死刑判決に大きく寄与した決定的証拠として、南京裁判の判決書(注1)

          『陥都血涙録』に関する

          南京戦に於ける上新河遭遇戦の死者に関する考察

          百年非 2023年5月25日 南京戦に於ける上新河遭遇戦の死者について、南京市政府傘下の「中国共産党南京市委員会党史工作弁公室」主催の「南京党史網」ウェブサイトが2015年1月4日、「侵華日軍南京大屠殺上新河地区遇難同胞叢葬地」という題名の文章を発表し、その中で「侵華日軍南京大屠殺上新河地区遇難同胞紀念碑」の碑文を引用して、次のように言っていた。「1937年12月、中国侵略の日本軍が南京市を占領し、武装を解除した数多くの我兵士や上新河一帯に集まっていた避難民合計28,730

          南京戦に於ける上新河遭遇戦の死者に関する考察

          所謂「南京大虐殺30万人」の数字に関する考察

          所謂「南京大虐殺30万人」の数字に関する考察