瞑想中、心を無にできない「理由」
【音声で聴きたい方は一番下の「ラジオ配信」からどうぞ】
「瞑想中、無になることができません」と
よく言われますが、
私も同じです。
でも私は、気にしていません。
この質問の場合、
「瞑想中に無になれるかどうか」というよりも、
「無になるべき」と思っている
そちらの前提(信念)の方を
観ていく良いのかなと思います。
この二元論にもっていってしまう犯人を
自我(思考の自分・エゴ)と言いますが、
この場合の自我のエネルギーの
おおもとは「怖れ」や「不安」。
この怖れや不安を感じたくないために、
自我(思考の自分/エゴ)を発動させて、
ああしたら正解、こうしたら不正解、
ああすべき、こうすべきでない、と
ぐるぐる始まります。
そして、このコントロールが結果的に
瞑想中に無にならない、
瞑想中、無になれないのだけれどどうしよう、という
思考に囚われて、
良い悪い、正解、不正解のループに入り込んでいきます。
だから
「瞑想中に心を無にするべきか」や
「全然、無にならないんですけど」の
問いに関しては、
無になる、無になれない、
というところにフォーカスせず、
「無になければ!」という
コントロールを手放すことで、
結果的に「無になれる」、だと思っています。
それでも、もしかしたら
無にならないのかもしれませんが、
でも、それはそれでOKで、
結果に執着しないこと、
コントロールしないことが
自我(思考の自分/エゴ)を発動させないために
大切になります。
アーユルウェーダの視点からいえば、
ああすべき、こうすべき、は
心がラジャス(激性)に傾いた時に起きること。
だから、
心がラジャスに傾くような食べ物は
極力食べないようにする。
瞑想前は特にですね。
心がラジャスに傾く食べ物でいえば、
辛すぎるもの、酸っぱすぎるもの、苦すぎるもの。
強すぎる香辛料、
コーヒー、アルコール、チョコレート、などなど。
ニンニクやネギなどもラジャスに傾きます。
精進料理などは、ラジャス性のものを徹底して
排除していますから、
修行に入る人や、瞑想に入る人は、
食べ物がどれだけ心に影響するかが
分かっていたのだと思いますね。
とはいえ、
食事制限をし過ぎる必要もないと思いますし、
食事は食事で楽しめれば良いと思いますが、
ただ、過剰な摂取などは
心の状態にかなりの影響を与えますので、
気を付けてもらうと良いかな、と思います。
以上、話はあちこちいきましたが(笑)
瞑想中、心を無にできない「原因」について
書いてみました。
どうぞ今日も素敵な1日を♪
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