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【HSP】私はダメじゃなかったと気づいた日【INFJ】

今年、私のメンタルに重大事件が起こりました。


びっくりしたけど、とても良いことです。


今日はそのことについて書きたいと思います。


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あれは8月の終わりのことでした。

私は7〜8年前から通っている治療院で、いつものように施術を受けていました。

この日は私が「最近、心と体のテンションが激しく乖離している時があって、違和感がある」ということを言ったので、先生がそれに対して色々な話をしてくれました。



人間の体は本当によくできていて、自分の意識とは関係なく心臓が常に動き続けてくれるし、食べたものは消化され、体の調子が悪くなったら元に戻そうとしてくれる。

だから心が不安定になったら、体の状態を優先して見ると良い。


心がどんな状態であろうと、体はいつも通り動いているから。


…みたいな話でした。


で、どんな言葉が決定的になったのかは、もう覚えていません。

それくらい些細な話だったんだと思います。


私は突然、「あれ???」ってなりました。


そして思ったことを口に出しました。

「私はひどい頭痛持ちだし、疲れやすいし、自分の体をダメなものとしか思ってなかったんですけど…

今の話を聞くと、全然ダメじゃないってことですか???」



こう言った時には、私の心から何十年と抱えてきた思い込みがごっそりとなくなっていました。


まるでかさぶたやイボがポロッと取れるように、痛みもなく一瞬で取れてしまいました。

これ、読んでいる方にどのくらい伝わるかわからないのですが、私にとっては本当にとんでもないことです。


私は12歳の頃に突然ひどい頭痛と吐き気が起きて何週間も治らず、学校に行けなくなりました。


病院で何度検査をしても、異常なし。


今だったらたぶん、早めにメンタルの不調を疑ってもらえて適応障害とか病名がつくと思うのですが、当時はそんな診断をしてくれる環境がなかったので、原因不明=怠けていると思われて、家族にものすごく怒られました。


自分でも何が起こっているのかわからず、当時学校では優等生だったこともあって、「なんて自分はダメな人間になってしまったのだろう」と思いました。


その後、何とか学校に行けるようにはなりましたが、私はひどい頭痛持ちになり、人一倍疲れやすい体質になってしまいました。


さらに大学1年の時には過食症になり、隠しながら学業を続けていたら4年生の秋にうつになり、その後20代はずっと精神科通いでした。



大学は一応卒業できたし、こんな状態でも私はなんだかんだでやりたいことを叶えてきたほうだと思います。


しかし、逆に体質が理由で諦めたこともたくさんあります。


例えば演奏活動一つとっても、体力に自信があったらバイトで生活費を稼ぎながら演奏活動をして演奏一本でやっていけるのを目指すとかできたのに、大学生の私は「この体では絶対にできない」と思い、自分が音大を出た後にどうしていったらわからなくなりました。


ネックになっている「この体質」を他人に理解してもらえた経験がないから、親にも大学の先生にも、誰にも相談できませんでした。


「そんなのみんな我慢しながらやってるんだよ」とか、「もっとひどい境遇で頑張ってる人はたくさんいるんだよ」って言われて終わりだと思ったから…


だから今まで何度、「こんな体でなかったら」と思ったでしょうか。

周囲に理解されないのに、社会生活には支障が出まくる。


そんな状態の自分を肯定することなんて、私にはできませんでした。


そしてこの、「自分の体は使い物にならない」という思いは、死ぬまで変わることはないだろうという確信がありました。


なのに、なぜか今年の8月下旬のこの時、私の心から全て消えてしまったのです。


それは「無くなったかも…?」という曖昧なものではなく、例えばテレビで食レポをする人が「あっ!もう無くなった!口の中で溶けた!」って言うみたいな感じです。


口に入れた途端に溶ける食べ物は世の中にたくさん存在しますが、まさか自分の心の中でそのようなことが起こるなんて思いもしませんでした。


この日を境に、私の意識は「自分の体はダメじゃないどころか、むしろ素晴らしいものであった」という風に変わってしまいました。

決して「頭痛を起こしやすい」「疲れやすい」という事実は変わっていないのに、です。


意識が変わっただけで、何もかもが変わってしまいました。


しかし、それですぐにハッピーハッピー!ということはなく、私は心に大きな穴が開いたというか、急にハシゴを外されたような感覚がして、戸惑っていました。


で、なぜこんな感覚になるのか考えてみたら、「今まで自分の心を支えてきたのは自己否定の感情だった」ということに気づいたのです。


私は愕然としました。


自分はなんてとんでもないもので、心を埋めていたのだろうと。


だけど、以前通っていた精神科で、依存症や精神疾患の症状の多くは「生き延びるための手段である」と学んだから、やっぱりそういうことってあるのだと思います。


それにしても、自分のこんなところにまで大きな自己否定があるとは全く気づかなかったので、メンタルの治療を頑張るだけでなく、「体」という土台にもテコを入れなければいけなかったんだと思いました。


とはいえ、それは簡単にできることではありません。


25歳で自分に合う病院が見つかり、生き直しを図ってから10年以上経つのに、ここまで全く気づかなかったし誰にも指摘されなかった(※たぶん)、というのが何よりの証拠です。


でも今回、こんな大きな気づきを得られたのは、現在もこの治療院やフラワーエッセンスなどという色々なサポートを受けて自分と向き合う作業を続けてきたからだと思います。


単純に自分が歳を重ねて考え方が変わったということもあるのでしょうが、「ついにここまで来れたか〜」と考えると感慨深いです。


この件はまだまだ現在進行形で、今後も自分の中でいろんなことが変わっていくはずです。


何がどんな風になっていくのか、今の私には全くわかりません。


でも、それがすごく面白いです。


一生自分の身には起こらないだろうと思っていたことだから、このあとどんな変化が起きてもきっと楽しいに違いない気がするのです。


つい最近も、この件に関連して思い出したことや気づいたことがありますが、それは今後さまざまなセラピーを受けながら取り組んでいきたいことなので、今回は省略しました。


現在の私は精神科の集団療法や自助グループには参加していないので、自分と対話する時間は以前と比べるとずっと少ないのですが、時々こういう思いがけないプレゼントがあるなら、私はこれからも地道に自己分析を続けていこうと思います。

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