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続・夏の読書感想〜翻訳の賞味期限〜


「翻訳には賞味期限がある」

この言葉を読んだとき、私は目からウロコがぽろっと落ちた。
それと同時に「たしかにそうだ…」という、深い納得感があった。


このことを教えてくれたのは、前回の記事で紹介した「グレート・ギャツビー」の訳者あとがきでのことだった。
翻訳者は村上春樹さん。

(前回の記事です)


このあとがきもとてもおもしろいので(そして作品への愛に溢れているので)、興味があればぜひ読んでみてもらいたいのだが、そこにはこんなことが書かれていた。

賞味期限のない文学作品は数多くあるが、賞味期限のない翻訳というのはまず存在しない。
〜中略〜
どのような翻訳も時代の推移とともに、辞書が古びていくのと同じように、程度の差こそあれ古びていくものである。

「グレート・ギャツビー」あとがきより


たしかにそうだ。
私が初めてグレート・ギャツビーを読んだのは、大貫三郎さんが訳したものだった。

前回の記事で「この作品が好きだ」と言っておきながら、正直言うと私は一度挫折している。

その頃はまだ海外文学に慣れていなかったというのも大いにあるが、どうしても、どうしてもわからない言葉があった。


「紙挟み」


この言葉は物語の語り手であるニックと、ある写真師との場面でぽんっと出てくる。

当時私はこの紙挟みが何なのかどうしてもわからず、そして妙にその言葉に引っかかり、そっと本を閉じてしまった。

もちろんその後、再度開いて読み切り、結果私はこの作品が大好きになったのだが、数年後、この本を友人にプレゼントしようと思ったときだった。

あまり海外文学を読まない友人には、もしかしたら読みにくいかもしれない…
自分の経験も踏まえてそう考えたとき、違う翻訳本を探して贈ろうと思いついた。
そこで出会ったのが村上春樹さんの翻訳版だった。

この本では上記の言葉がこう記されていた。


紙ばさみポートフォリオ


ポートフォリオ…!

聞き馴染みのない人もいるかもしれないが、
ポートフォリオとは、デザイナーやクリエイターが、自身の作品や実績を売り込む時のために作成しておく作品集のようなものだ。
(その他にもビジネス用語として使われてたりもする)

つまりこの場面で出てきた「紙挟み」とは、写真師の作品を納めたファイルのようなものだったのかもしれない。

そう考えれば、しっくりくる!
その言葉でなら、イメージが湧く!

この経験があったから、「翻訳の賞味期限」という言葉がよくわかる。

大貫さんの訳は、初版が1957年のようなので、
おそらくその当時は「ポートフォリオ」という言葉は今ほど使われていなかったのではないだろうか。
(あるいは、まだなかったかもしれない…)

そうだとしたら、やはり時代とともに言葉も変化していく、ということが感じられた経験だった。


これをきっかけに、翻訳っておもしろいな、と思うようになった。

外国語がわからない私にとっては、海外の本を読もうと思ったら翻訳が全てだ。
手に取った翻訳で、その本の登場人物の印象もガラッと変わってしまう。

例えば、グレート・ギャツビーのヒロインであるデイジーは、大貫版では語り手ニックのことを「あんた」と呼び、村上版では「あなた」と呼ぶ。

私としては「あなた」の方が品良く感じられるし、私の中の可愛くも小悪魔っぽさのあるデイジーには、こっちの表現の方が合っている。


母国語の本ならば、誰でも作者自身の言葉をダイレクトに受け取ることができ、そこからその作品について味わえるが、
そうでない場合、作者と読者の間には翻訳者が入る。

これによって一度翻訳者を通したその作品を味わうわけだから、その人が意図せずともそこには「翻訳者の味付け」がどうしても加わってくる。

もちろんみなプロだから、その作品がもつ本来の味が大きく変わることはないだろうが、
翻訳によってその印象は多少なりとも変わる可能性はある。

(この文を書いていて、私はふとお茶碗いっぱいの白米と、ふりかけを想像した。
のりたま、ごましお、梅かつお…。ふりかけって種類が豊富だ。白米だけじゃちょっと物足りないけど、翻訳というふりかけをかければ、それは美味しく食べられる…)

(…例えが下手だ)


でもそれはそれで、おもしろいかもしれない、と思った。

ダイレクトに作者の言葉を感じることはできないけれど、色々な人の翻訳があれば、たとえ賞味期限があってもそれらの違いを楽しむ、ということができる。
自分好みの表現が見つけられるかもしれないのだ。

現に私にはちょっと難しかった大貫版でも、ある部分で村上版より理解しやすい表現があった。


ただそういったことができるのは、後世に残り続けられる作品に限るのかもしれない。


それでも、本はただその内容を楽しむだけでなく、別の楽しみ方もあるんだということを、この「グレート・ギャツビー」は教えてくれた。

そういった意味でもこの作品は、まさに私にとってグレートな作品なのだ。



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