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2025年2月6日 木曜日
昨日さんざんな目にあったため、魔除けの意も込めて、玄関に置いてあるアロマストーンに、セージの精油を垂らす。そんなことも忘れてたころに、なんだか生姜くさいな、なんでだ?と考えてたら、セージの匂いと気づく。セージってこんな匂いだっけ?
吉本ばななの『キッチン』を読み終える。
『キッチン』をはじめて読んだのは、中学生のときだったと思う。大人になってから、中学生に理解できたわけがないと思い、ずっと再読したいと思っていた。
単行本ではなく、昔出たときのハードカバーのを図書館で借りた。そうそう、こんな装丁だった!増子由美さんの!と懐かしくなる。
思ったより、中学生のとき読んだ感想とズレのようなものはなかったが、やはり私も大人になって孤独や家族との死別を経験して、共感する部分もあった。
「まあね、でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことが何かわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。あたしは、よかったわ。」
もっともっと大きくなり、いろんなことがあって、何度も底まで沈みこむ。何度も苦しみ何度でもカムバックする。負けはしない。力は抜かない。
どうしても、自分がいつか死ぬということを感じ続けていたい。でないと生きている気がしない。だから、こんな人生になった。
闇の中、切りたった崖っぷちをじりじり歩き、国道に出てほっと息をつく。もうたくさんだと思いながら見あげる月明かりの、心にしみ入るような美しさを、私は知っている。
私はなんだか多くの人が、当たり前のように寿命をまっとうして死ぬものだと思ってる気がして、それにものすごく違和感がある。明日、いや、一秒先に死ぬかもしれないのに。だから私はやりたいことはすぐにやる。他人にどうのこうの言われても、聞かない。
そして幾度か絶望もしてきたが、一度目の絶望のときに「こんな人生のどん底はない。だからこれからは上がるのみだ」と思ったのに、そのあともっとすごい絶望が押し寄せてきて、ああ、絶望に底なんてないんだな、と思った。きっとこれからもっとすごい絶望に落ちることがあるかもしれない。でもそういう思いをした人こそ、うつくしくやさしく強くいられることを信じたい。
私はどうにか生きている。死ぬまで、生きる。ふざけんな、馬鹿野郎、もっとうつくしい世界を見てやる、と思いながら生きている。その思いは、この日記を書いてる理由の一つだ。
今日こそと、サイクルショップへ行く。
自転車を見てもらったら、タイヤがぼろぼろになってて交換が必要とのこと。さらにライトも壊れていて、修理費が高くついた。終わった。詰んだ。上記で「絶望とは」とかえらそうに語ってたくせに、今絶望している。
メンタルが終わってしまったけれど、明日はお出かけなので回復すべく、何が自分の機嫌をとれるだろう?と考えたら、お腹がすいてたこともあり、爆食してやろうかと思ったが、それでさらに太ったらまたへこむので、とどまる。
そこで思い出した。昨夜ヨーグルトにドライマンゴーを入れて、冷蔵庫で寝かしたものがあることを。さっそく取り出し食べる。これはラジオで得た知識で、食べるのははじめてだ。さっぱりしていて、マンゴーがやわらかく少し粘土が減ってみずみずしくなっていて、とても美味しい。少し満たされた。
GRAPEVINEの新曲がとても良かったので、夜SpotifyでずっとGRAPEVINEを聴く。やはり田中和将の歌詞は汚くて、無骨で、うつくしい。田中和将の歌詞は圧倒的に冬が似合う。吸ってる煙草がウィンストンなんて、最高にクール。
それにしてもTRICERATOPSといい、ピロウズといい、私が現役(って何歳の頃?)でライブに通っていたバンドが、どんどん消えてゆく。
【今日の一曲】
ソープオペラ/GRAPEVINE
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