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PTSDの私の両親

この記事は、自己紹介の投稿を除くと初めての記事になりますが、今回は『私の両親について』話したいと思います。

突然ですが、私の両親はどちらも毒親育ちです。

母親は両親から虐待を受け、
おでこを刀で斬りつけられたことを機に
家を出ました。
その後、母方の両親は自殺したそうです。
私の母は私が9歳〜11歳くらいの頃に
亡くなったのですが
おでこの傷は消えていませんでした。

父親は4人兄弟の3番目に生まれたのですが、
はっきり物を言う父は両親に嫌われており、
物心ついた頃から
家事などをさせられていたみたいです。
高校も自分のお金で通い、 
700万程のお金を
親に奪われた事もあったそうです。
社会人になり両親の面倒を見たくないからと
他の兄弟三人は実家を出てしまい
実家に一人残されたそうです。
一度は家を出たのですが私が生まれて
しばらくしてから父含め
私達家族は実家に連れ戻されました。
そこからが地獄の始まりでした。

この事については
また別の記事でも話そうと思います。

話は戻りますが
私の父親もまた毒親です。

物心ついた頃にはボクシングの経験のある父に
血が出るほど
殴られたり蹴られたり踏まれたり
首を絞められたり、
高いところから落とすふりをされる。
暴言で精神的に追い込まれるなどがありました。
父からは力加減を知っているから
殺さずに半殺しにしてやる。
みたいな事を言われていました。

母親はそんな父が怖かったのか
何も言わずただパズルなどを解いていました。

思い出すだけでも胸が痛いですし、
今でも夢に出てくる時や
体調が良くないときに思い出してしまうと
混乱や色々な不調が起こります。

それ程の影響を及ぼした父親ですが
父から離れるまで私は父が大好きで、
そして信じていました。
それは暴力的じゃない時の父が
面白くて優しい人だと感じていたからです。
今も腐っても血の繋がった家族だからなのか
好きという気持ちはあります。

ですが、離れるまでの父に
私への愛情は無かったように感じます。
大きな理由は、
病院への通院は邪魔をされ出来なくなってしまい病気なら養うと言われていたのですが
ご飯を与えられず、働こうとすれば
働くな、病気なら働いても続くわけない等を
言われ、病気が悪化してしまった事、
ご飯が食べれずに
段々と動けなくなってしまっていたからです。

最初に母親は私が9歳〜11歳くらいの頃に
亡くなったと書いたのですが
私は母の葬式で一度も泣けませんでした。
それは母が私に無関心であったように感じていたからです。

ですが、最近とある物を見つけました。
それは母が文通していた手紙です。
なぜ文通していた手紙が手元にあるのかというと
母が亡くなったときに
母の葬式に来れなかった遠方の文通友達が
母と文通していた手紙をまとめて送って下さっていたからです。
私はなぜ文通していた手紙を送りつけてきたんだ!と思っていて、手紙の内容を読んだことがありませんでした。
ですが、最近になって中を見てみると『虐待されて亡くなってしまった子供は可哀想だよ。なんかそういうの聞くとつらいよね。』と書いてあって。
それを見て母は私の虐待されている姿を見てどんな事を感じていたんだろうと胸が痛くなりました。

今回は私の両親について簡単に書いてみました。
ここまで読んでくださり、
ありがとうございました🙇‍♀

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