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今いる場所をユートピアだと言うときや。 〜「ユートピア」を読みました〜


湊かなえさんの「ユートピア」を読んだ。

「ユートピア」とは、想像された理想的社会、理想郷を意味するらしい。

人生におけるユートピアについて、深く考えさせられた。

物語に出てくる人たちは、ユートピアを求めて舞台となる場所へ移り住む。
でも紆余曲折あり、結局違うところへと出ていってしまう人もいる。

人は無い物ねだりだ。
足りないものばかり見えてしまう。
ユートピアに辿り着いても、そこでまた不足する部分が現れて、すぐにユートピアではなくなり、次のユートピアを探し求めてしまう。隣の芝は青い。

今いる場所をユートピアだと思って生きられるかだと思う。
幸せに生きたいなら、今この瞬間をユートピアだと言うときや。

ユートピアだと定義して生きていく。
決して他人の軸では生きない。比較しない。
万人に共通するユートピアなんて存在しないんだ。
自分がユートピアだと信じて楽しく生きられていれば、誰が何と言おうとそこがユートピアだ。
他人の声なんて気にせずに、スルーしていこう。俺の人生はこれでいいんだと、強く信じ込んで生きていこう。

一方で、もっと素晴らしいユートピアを目指していく人生も面白い。
まだまだ素敵な景色があるはずだと信じ込めたなら、人生はワクワクに包まれる。

今あるユートピアに満足しつつ、より上のユートピアを目指していく。
足るを知りつつ、向上心も失わずにいたい。

人は悪意の生き物だ。
他人のユートピアを蔑んで、ダメージを与えたくなる。
自分の満たされない人生を、誰かの心を傷つけることで満たそうとする。それが人間だ。

ユートピアを諦めてしまっている人は、ユートピアを目指してキラキラと生きている人たちが鼻につく。
調子乗んな。地に足付けて生きろバカ。現実見えてる?

ささやかな日常の中に、ユートピアの欠片を感じながら生きていたい。
ユートピアなんてない。つまらないと思って生きていれば人生はつまらない。
ユートピアはある。面白いと思って生きていれば、人生は面白くなる。

今いる場所が全てではない。
今いる場所に永遠にいられる保証なんてない。良くも悪くも。
なぜなら、人生とは変化し、移ろいゆくものだから。

例えば、作品中に家屋が火事になるシーンがある。
そうやって人の力が及ばないところで、人生が180度変わってしまうみたいなことが、生きていく中では少なからずある。

だからしんどい。苦しい。
でもそれを面白いと思っていけたら、勝ちだ。

今あなたはユートピアにいるだろうか?
仕事、家庭、友人関係。
今いる場所が全然ユートピアに感じられなくて、僕たちは次のユートピアを目指す。
でも辿りついたユートピアにも、大なり小なり間違いなく苦しみの種は存在する。その苦しみに覆われて、いずれユートピアをユートピアに感じられなくなる。

人は慣れてしまう生き物だから。
たまに立ち止まって、今あるユートピアを、既に与えられているユートピアを深く吸い込む時間を持つようにしたい。自覚して生きていたい。それこそが、幸せに生きていくコツなのかもしれない。

確かにストレスは尽きない。苦しみばかりで嫌になる。
ご飯が食べれて、ゆっくり眠れて、たまに笑える。本を読みながら、こうして人生について深く考える幸せな時間を持てたりもする。

今私は、ユートピアの中で生きている。
もちろん、ここで満足する気持ちなんて更々ない。理想郷を追い求めて、しばらくは走り続けるつもりだ。

でも、言うとこう。
今もわりかし、ユートピアや。

ユートピアだと、言うときや?
今あるユートピアを、そっと優しく抱きしめながら、人生の奇跡に感謝して進んでいこう。

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