見出し画像

「令和元年の人生ゲーム」を読んで、「人生なんて所詮ゲームだよな」って心が軽くなった話。

麻布競馬場さんの「令和元年の人生ゲーム」を読んだ。

若者たちが働き方や生き方に悩んだり考えたり、そんな姿を見て、自分の生きたいように生きなきゃなと思った。

自己実現。理想の自分。
私もいいおじさんだ。
何歳まで、そんな綺麗事を言っていていいのだろう?
いや、何歳だって、この問いから目を背けてはいけないのかもしれない。
いつかどうせ、壁にぶち当たる。

私の人生、これでいいの?
こんなはずじゃなかったのに。

だけど、難しい。
忙しさをいいことに、本当に自分がやりたいことと向き合ってこなかった私たちは、自分が何をやれば幸せになれるかわからない。

徐々に、でいいのだと思う。
焦る必要はない。

あ、これやってると楽しいな。
これを人にやってあげた時、なんとも言えない幸せな感情に包まれたな。

そんなところから、少しずつ。
ヒントは日常にしかない。
アンテナをいつもより少しだけ高くしながら、自分がどう生きたいのか、心の声に耳を傾けることだけは諦めずにいたい。

人生なんて、ゲームだよなと思えば楽だ。
仕事なんて、その人生のたった一部分だから、ミニゲームみたいなものだ。

ゲームなのだから、気負わなくていい。
自分を責めるほど、苦しむ必要もない。

晩御飯だからゲームやめなさい、と言った母のように、寿命だから、人生のゲームやめなさいと、いつか神様が部屋のドアを開ける。
その時まで、楽しめる分だけを、気ままに楽しんでいればいい。

忘れてしまうから、もう一度。
人生は、ゲームだ。

苦しみなくていい。
理想の姿を追い求めて、だけどなんでもない自分が変わらずここにいて。
それでいい。みんなそんなものだ。

意味がある人生を歩んでる人なんて、この世界には誰一人としていない。
いつか等しく死んで終わる人生。
その人生に、意味なんてあるわけがないでしょう?

みんな、意味ある風に生きてる。
意味ある日々を生きてると自分を洗脳しながら、どうにか生きてる。

大丈夫。苦しいのはあなただけじゃない。
みんな裏側で、実は人生の無意味感に押しつぶされそうになって酒とか飲んでる。

まぁ、気楽に。楽しみましょう。
人生はゲームだ。
綺麗に生きれなくても、とりあえず、終わりの時まで、笑える分笑いながら共に生きていきましょう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?