死にたくても死ねなかった。与えられた余生を気楽に生きていようと思えた。 〜「オーダーメイド殺人クラブ」を読みました。〜
「私は余生を生きている。」
本書のラストに書かれている一文だ。
その一文が、心に響き渡る。
人生が辛くて死を望む女子中学生。
同じく人生に絶望するクラスメイトの男子に、私を殺してくれとオーダーする。
そして2人で理想の死に方を考える。
オーダーメイドで、理想の終わりを作り上げていく。
友人関係。家族との関係。恋。学校。先生。
彼女たちに絶望を与えているのは、思春期特有とも言える悩みだ。
それらで悩んだ時期が自分にもあったなと、懐かしさを覚えた。きっとこれをエモいと呼ぶのだろう。
死という逃げ道は、大いなる救いだ。
苦しみが永遠に続くと思えてしまうから、苦しみは苦しい。
いつでも終わらせられる。
あの日に死ぬんだと決意してしまえば、その苦しみは期間限定のものへと変わり、苦しみは薄まる。
死にたいと思った時期が確かにあった。
きっと思春期もそうだったけど、社会人になって仕事に悩んでからの方が、死を望む機会は多かった気がする。
自転車で通勤しながら、ここで車道に飛び出してしまえたら、人生を終えられるんだと強くイメージした。
会社に火でも放って、その中に自分が飛び込んだらいっそ楽になれるのかもと思えた。
幸いと呼んでいいものか、私は今日もこうして生きている。
死のうとした日々は未遂に終わり、思い出すことも躊躇われるような黒歴史として確かに存在してくれている。
きっと私も、余生を生きている。
別に死んでてもおかしくなかったけど、勇気の欠如が今の私を生かしてくれている。
たったそれだけの話。
余生だ。
なら気楽に生きていればいい。
やりたいことやって、本当にしんどくなったら終わらせたっていい。
いつでも終われる。
でも生きる。生きることを選んでいる。
この先も、誰かにいっそ殺して欲しいと思えてしまうような、辛い日々はやってくるのかもしれない。
その度に、この本を読んだことを思い出そう。
この人生は、余生であることを強く意識して生きていよう。
死にたいけど、死ねない。
死ぬ勇気もないし、エネルギーもない。
惰性で生きているだけ。人生なんて、人間なんてみんなそんなものかもしれない。
人生に意義を感じながら、キラキラ生きて人たちなんて気にするな。あれはもう、人種が違う。
オーダーメイド殺人「クラブ」だ。
死にたいのは、終わらせたいのは、私だけじゃないし、あなただけじゃきっとない。
このクラブには、多くの仲間がいる。
この本に生きる希望をもらった同志が、この世界にはきっとたくさんいる。
いつか死ぬ。
自然に死ぬかもしれないし、誰かに頼んで殺してもらうかもしれない。
大切な人と共に旅立つことを選ぶのかもしれない。
わからない。
でもいつかは死ぬ。
それまでの余生を、与えられた瞬間瞬間を、気楽に楽しめていけたらいいなと思う。
死にたくても大丈夫。
いつか僕らは死ねるから。
死ぬのを望むのはあなただけじゃない。
みんな死にたくて、死ねなくて。
そんな余生を生きている僕たちは、きっと強く繋がっていけるはずだ。
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