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この物語と出逢えたのは、コロナの「おかげ」だったりする。 〜「この夏の星を見る」を読みました〜

辻村深月さんの「この夏の星を見る」を読んだ。

コロナ禍を舞台にした、中高生の青春物語。
あの時期を思い出して苦しくもなったし、今普通に日常を過ごせていることが奇跡的にさえ思えた。

コロナ禍を過ごした学生にとっては、「奪われた」時期だったのだろう。
普通の青春を謳歌することができず、やりきれない気持ちを抱えた人も多いはずだ。

本書の登場人物たちもコロナ禍に振り回されて苦しみを味わうが、コロナ禍だからこそできることに目を向けて、諦めずに青春を全うしようとする。
その姿がとても美しく、羨ましくも思えた。

失われたものがたくさんある。
コロナのせいで疎遠になった人もいれば、心無い言葉に傷つけられたこともある。
人を信じられず、ギスギスした人間関係に疲れてしまうことも数え切れないほどあった。

与えられたカードで勝負する。
制限された中で、なお人生を楽しもうとする姿勢の大切さを本書から学んだ。

コロナ禍が過ぎ去っても、この姿勢は大切だ。
人生に苦悩や困難はつきもので、それをどう「解釈」して前向きに糧としていくかが、人生を豊かにするコツなのだ。

コロナだから。ではなく。
コロナだからこそ。
こんな時期だからこそ、こんな人生だからこそ、楽しめる手段はきっとまだある。

人は幸せに慣れてしまう。
あの頃に待ち焦がれていた日常を今取り戻したけれど、その幸せにすぐに慣れて、ありがたみを忘れてしまっていた。

コロナがあったから。

それで言えば、このような素晴らしい物語に出逢わせてくれたのも、コロナなんだ。
コロナがなければ、この物語は生まれていなかった。
こんなに素晴らしい物語を生み出してくれた作者と、そしてコロナにも感謝できてしまう。

失うものの裏側に、きっと得られるものもある。

これからも続く人生の中で、あの辛かった時期は、決して「失われた」日々ではなかったと思わせてくれた。そうやって解釈を変えてくれた。

日々の幸せを噛み締めながら、今日を生きていこう。
物語の子供達が美しく青春を味わうように、まだまだ人生を楽しんでいければいいなと思う。

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