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言葉が誰かを救っていく 〜「ジャクソンひとり」を読んで〜


安堂ホセさんの「ジャクソンひとり」を読んだ。
人って一括りにしてしまうものだよなと感じた。

例えば外人さんがそこにいれば、「外人さん」だと認識してしまう。
その人が道端に唾とか吐いてたら、「やっぱ外人さんってマナーが悪いよね〜」とか思っちゃうだろう。

人は括ってしまう。
そして、そのフィルターを通してしまうから、ありのままで目の前の人と向き合うことは難しい。

同じ日本人でもそうだろう。
例えば、職業のイメージで人を判断してしまう。

やっぱ医者は気難しいよね。
学校の先生って世間知らずだよね。

どこの統計をもとにしてるんだろう。
別に、職業によって人の良し悪しは決まらない。
めちゃくちゃ善良な工場労働者もいれば、めちゃくちゃクズな弁護士だっている。

フィルターを外して、括らずにいきたい。
偏見を持ってしまうけど、そこで一歩立ち止まり、人と人とで向き合うことを意識していたい。
きっとその方が、幅が広がる。
「外人だから」とかつまらないフィルターで排除してたら、なんだか勿体無い。

と同時に、人は他人のことなんてよく見てないとも言える。
自分のことで精一杯で、他人がどんな人かなんて正直興味ない。

だから好きに生きればいい。
他人の目なんて気にしなくていい。
きっとその目線は自分が感じてるだけであって、世間はあなたのことなどさして気にしてなどいない。

作者がインタビューで、「言葉は武器になる」と言っていた。
世間からの心無い発言に傷ついてばかりもいられない。
言われたら言い返す。そのために語彙力を高める。そのために本を読むのだって、立派な護身術じゃないか。

言葉の力は偉大だ。
読んだ誰かを救うかもしれないし、自分自身を守ってくれる救世主ともなり得る。
闇雲に、これからも言葉をインプットしていよう。きっと何かしらのプラスになるはずだから。

きっと社会問題なんてなくならない。
差別だっていつまでも根強く残っていくのだろう。

私のような人間に、何かできることはあるのだろうか?
社会を変える。きっとそれはできない。

ただ、本書を読んだ誰かが勇気づけられたように、私の言葉で誰かが生きる糧を得られたら素晴らしい。
言葉の力を信じたい。言葉遊びをしながら、人生を謳歌していきたい。

偏見とか向けられてない人には、そんなに響かない物語かもしれない。
でも確かに、この物語が胸に響いて、今日も生きていようと思えている人たちが存在している。

どの言葉が、誰にどんな形で影響を与えるかなんてわからない。
だから言葉は面白く、素晴らしい。

これからも言葉を外に出していきたい。
胸に秘めた言葉では誰かを救えない。

言葉っていいよね。
言葉の素晴らしさを改めて実感できた、意義深い読書だった。

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