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人生を楽にするコツは「どーでもいい」と思うことで、「どーでもいい」と思うコツは「筋トレ」で。


どーでもいいことを「どーでもいい!」と思える人生は楽だ。

だけどそう上手くは生きられない。
僕たちは気にしてしまう生き物だ。

本当は仕事なんてどーだっていいはずなのに。
テキトーにこなして給料もらって、飯が食えてればオッケーなはずなのに。

どーでもいいと思えない。
他人の目は気になるし、上司から怒られないかといつもビクビクしてしまう。
目の前の仕事が自分なんかにこなせるのかと、不安になる。
夜も眠れない。ご飯の味もしない。辛い。

どーでもいいと思えたなら、どんなに素敵だろうか。

友人に相談してみても、解決はしない。
「え?そんなの気にしなきゃいいんだよ!どーでもいいことは気にせず、人生楽しまなくちゃ!」

きっとどーでもいいと思えることは才能だ。
持って生まれた天性だ。
僕たちにはない。
些細なことを気にしてしまう僕たちとは、住んでいる世界が違う。

僕は今、結構どーでもいいと思って生きられている。
仕事は順調とは言い難いけど、他人に評価なんてされっこないけど。
まぁいっか。どーでもいいかと思ってストレスを消化できている。

なぜか?
それは、筋トレをしているからだ。

もう筋トレ推奨のアドバイスは聞き飽きたよ。
そう言わず、もう少しだけ付き合ってほしい。
これは紛れもない事実だ。
気にしいなおじさんがどーでもいいと思って楽に生きられるようになった、紛れもないリアルな成功談だ。

思うに、筋トレとは「宗教」であり「儀式」なのかもしれない。

筋トレをする。
脳内で前向きになれる物質が分泌されて、前向きになれる。
ホルモンの関係で小さなことは気にならなくなり、良い意味でいい加減に生きられるようになる。

筋トレをしている。
筋トレさえできていれば大丈夫。
だからどーでもいい。
僕のどーでもいいには、確かな根拠がある。

苦痛を伴うことも、筋トレの素晴らしい所だ。
楽して得たものに価値はない。
己の弱さに一歩打ち勝ち、その上で手に入れた充実感だからこそ、他の全てがどーでもいいと思えるようになる。

僕は今日筋トレをした。
だから今日の仕事のストレスなんてどーだっていい。
(実際に、今日あったことなんて1%くらいしか覚えてない。)

僕は明日も筋トレをする。
だから明日の仕事でどれだけストレスを味わおうと、それは実はどーだっていいことだ。

日々のストレスは避けらない。
だけど僕には筋トレがある。
今日筋トレをし、明日も筋トレをしたならば、そこに挟まれた時間に起こったことは全てオセロのように裏返り、「最高」という事実へと変わる。

どーでもいいと思って生きようよ!
素晴らしい提言だが、具体的な手段が示されていない。

どーでもいいと思って生きようよ!
そのために、筋トレをしようよ!

以上が僕の提言だ。
異論は認めます。
だって誰が何と言おうと、僕には筋トレがあるからどーだっていいんだもの。

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