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言葉は素敵だが、言葉のいらない関係はもっと素敵 〜「ゴリラ裁判の日」を読みました〜

須藤古都離さんの「ゴリラ裁判の日」を読んだ。

言葉を使えるゴリラが主人公の物語。
人間ってなんだろう。言葉ってなんだろう。
動物の命と人間の命、どちらが大切なのだろう。
そもそも動物と人間の境界線はどこにあるのだろう。
様々なことを考えさせられた。

ゴリラの命と人間の命、どちらが重んじられるべきが物語中で議論される。
人間の命が大切だと人間は当たり前のように思うのだろうけど、改めて考えてみると違和感があるし、答えの出ない問題だよなと思う。

命の重さについて考える。
部屋に侵入してきたハエは平気で殺す。
大切に飼っていたハリネズミが死んでしまったら、これでもかってくらい涙が溢れる。
虫かごで飼っていたカタツムリが死んじゃったら、まぁ悲しいけど、数時間後には忘れているかもしれない。

価値観は人それぞれだ。
命を大切にしよう。
答えなんて出ない問題だからこそ、思考停止してとりあえず生きとし生けるものの幸せを祈っていればいいのかもしれない。

ラストシーンが好きだ。
言葉が使えるゴリラ。
けど、ゴリラとゴリラの間では、言葉なんていらない感情のやり取りがある。

言葉は素晴らしい。
言葉が使えることは、人間として生まれてきた特権だ。
これからも言葉を楽しもう。
せっかく使える言葉だから、誰かを傷つけるためではなく、救うために使っていきたい。

人間として、今日も生きている。
自由が与えられている。
言葉が使える。ありがとう。

ゴリラも豚も、カニも、蝉も、小鳥も、人間も。
みんな幸せで、楽しく生きられたらいい。

とりあえず楽しく生きよう。
ゴリラが大切なことを教えてくれた。
ありがとう、ゴリラ。ありがとう、作者さん。

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