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『あんのこと』を見た
ずっと気になっていた『あんのこと』を見た。
この社会における歪みが重なり合って、ひとりの少女が社会から消えてしまった物語だったと思う。
できるだけ率直でそのまま感じたことをここに残しておきたいと思う。
じぶんの居場所が失われることの恐ろしさ
杏ちゃんの自死のボトルネックが何かわからないけども、それでも、
やはり一番の問題点は最初につながった信頼できる居場所が、失われてしまったことだったのではないかと思っている。
だれかをケアする場所において、その場に対して責任を負っている者は、
ぜったいに絶対に自分の特権性を使って、誰かを傷つけてはならない。
ケアをするとき、ケアをする場には必ず暴力的な面があるし、傷を内包すると思っている。
それでも、どのようにその場に権力がうごめいているのか、
自分はどのような権力のある立場なのかを見極めることによって、
ケアをする場にいる最も弱い立場にいる人の傷付きを少しでも小さくする責任があることを忘れてはならないと思った。
どこかで何かの変数が変わっていたら‥
コロナを機に非正規雇用だった杏ちゃんは休職を免れなかった。
夜間中学校の仲間との連絡も途絶えてしまった。
よく行っていたラーメン屋も閉まってしまった。
刑事の記事を書いた記者とも関係性が途絶えた。
頼れるピアはいない。
すべての関係性が途絶えてしまったのだ。
どこかで何かの関係性があれば、少しくらい変わったのではないか。
お友だちがどこかでできたり、近所に知り合いがいたり。
何かあれば、言葉を交わせる存在があれば、少しばかり変わったのではないか。
自分が必要とされることの喜び・ケアの豊かさ
杏ちゃんが最後に預かることになった男の子。
戸惑いながらも、気づいたら男の子の対応に自分が生きる意味を見出していた。
男の子がいなくなってしまったことが杏ちゃんの最後の生きる意味を失わせてしまった。
あまりにも脆弱で依存的な存在を常に気にかけながら生きること、そこにはこの上ない喜び豊かさが伴うことだと思えてならない。
個人的に気になったこと羅列
私自身、この1年で福祉のことを学んできて、ちょっと専門的な視点を持って見ることもできた。
・行政職員に高圧的なコミュニケーションを取っても、状況は改善されないだろう。
・なぜ世帯分離ができなかったのか。
・なぜ家にまで介入してくれる人がいなかったのか。杏ちゃんの対応をするだけではなくて、母親や祖母への支援にも何かしら繋げられるとよかったのではないか。
・非正規雇用の弱い立場なんとかせねば。
・シェルターに住んでいる女性のことをケアする人はどこへ?
・お子さんを預かったとき、児相に通報する選択肢がはじめからできていたら、どうなっていたのだろうか。本来は通報すべき案件だった。
・なぜ母親に居場所がばれてしまったのか。
最後に
これは家族内の問題ではない。
ちらっと見た意見に、結局家族って大事やな、といった主張のものがあった。
これは家族内の問題ではない。社会の問題である。
社会の歪みによって、家族に痛み苦しみが降ってきてしまっている。
母親がいかにして今の立場になったのか、祖母がどうしてずっと家にいなければならなくなったのか。考えなければならない。
この構造をなんとしても変えなければならないのだ。