最近の記事

居場所研究についてーどのように評価するのかー

子どもの居場所と呼ばれる場所は増えて、 居場所研究なるものもずっと増えてきた。 当然今の潮流にある居場所について研究することはもちろん重要だと思う。 評価しなければ、次の一手が打てないんだから。 だが、居場所研究なるものがいかにその価値を評価するかは難しいなと思う。 そういった研究によくあるのは、 ・「つながり」によって「自己承認」がされて生きてもいいんだと思える。 ・自分が必要とされることによって自己肯定感が育まれる。 ・きっかけを与えてもらい、新たな挑戦ができるよう

    • 外国人児童生徒の支援について調べてみた

      一例として名古屋市を調べてみる。 現状▼人数:名古屋市:名古屋市外国人住民統計(暮らしの情報) 名古屋市の外国人住民数は92,509人と日々増えている。 うち、6~18歳までの人数は7413人。 片親だけ外国人のお子さんも含めると、海外ルーツがあるゆえに、なんらかの支援(言語支援~文化や生活支援など)を必要としている児童生徒はもっと多くいるだろう。 ▼支援状況 名古屋市は外国人住民数が比較的多いこともあり、そこそこ支援が充実している。 ・外国人児童生徒の支援:外国人児童生

      • 外へと意識を飛ばせ

        ついつい自分の内側にこもって、閉じてしまう私は、 いつまでもコンフォートゾーンに居続けてしまっている。 これから先もずっとこんな風に生きていくのか? そんなことはない。 「待つ」という人との向き合い方ができるのは、 たくさん「やってみる」経験をしてきた人だけだろう。 私はこれからどうするのか? やってみるしかないだろう。

        • パブリックコメント制度なるものがあるらしい

          「パブリックコメント制度」をあなたは知っているだろうか? なんか聞いたことがある気がするけど、自分には関係ないことだと思っていた。 しかし、調べてみると、どうやら一個人が行政に対して、意見を表明することができ、行政に何らかの回答を義務づけさせることができる制度らしい! めっちゃええやんけ! 知らなかった~~~! 今はデジタル庁のシステムによって、インターネット上で簡単に、 かつ匿名でも提出することができるようになっている。 サイトはこちらから↓↓ 案件一覧|e-G

          この世界にたった一人で生きることはできるのか

          個人主義的な社会では、私たちは自分の選択で自分の生きたいように生きている。 あれを食べたい、あそこに行きたい、こんなことをやりたい、こ そんな風に毎日が自分次第。 なんてハッピーな人生だろう! そんな社会で、もし一人ぼっちになってしまったら、私たちはどうなるのだろうか。 何でも食べ放題だし、どこでも行きたいところに行けるし、やりたいことはいつやっても怒られないし、 最高にハッピーだろうか…? そんなことはないだろう。 せっかく楽しいことがあっても喋る相手がいないし、

          この世界にたった一人で生きることはできるのか

          頑張らねばと心は焦っているのに行動が伴っていない!

          タイトルのまま! 今日は寝て明日やるぞ!!

          頑張らねばと心は焦っているのに行動が伴っていない!

          子どもたちは簡単に創造的に遊ぶ

          最近、子どもたちに向けたイベントがあった。 牛乳パックや紙コップを使って子どもたちと一緒に遊ぶ。 こんな簡単な遊びを果たして子どもたちは楽しくやれるんだろうか? いざやってみると、とっても楽しく取り組んでくれた。 牛乳パックコマや糸電話など、なつかしくて、簡単な遊び。 子どもたちはどんな色を塗ろうか、シールを貼ろうか、 一人ひとり違った表現をしてくれる。 なかには、紙コップを積み重ねることをひたすら楽しんでいた子もいた。 紙コップを反対向きにしてみたり、数を大体で数

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          私は何になりたいのか?

          私は何になりたいんだろう。 ずっと考えてきたつもりだけど、段々現実が近付くにつれて、 なりたい自分を考えるのが怖くなってきている。 「なりたい!」「やりたい!」と言ったら、やらないといけなくなってしまう。 こわい。 できる気がしない。 私なんて生きるだけで精一杯なんだから。 そんな声が自分の中から聞こえてくる。 弱い自分が出て行ってくれない。 それでも、やりたいことがあって、やるべきことがある。 社会で生きる一人として、使命が、責任があるはず。 何のために私は生

          私は何になりたいのか?

          時間を意識化して活用する

          時間はずっと私の目の前を過ぎ去っていく感じだった。 時間がないとすら思えないくらい、過ぎ去っていく感じ。 それも悪くないって思っていたけども、そうじゃない生き方をそろそろしてみるタイミングじゃないかって思っていた。 時間を意識化して、自分のものにして、時間を乗りこなすんだ。 30分ごとに大体やることを決めて、やってみる。 時々で調整しながら、やっていきたいな。

          時間を意識化して活用する

          PDCAをいかに回すのか

          私の人生は果たしてPDCAが回っているのだろうか。 ここ数年何も成長していないのではないか。 そんなことを強く強く感じてしまっている。 やりたくないことから逃げて、 苦手なとから逃げて、結局ずっとコンフォートゾーンに留まってしまう。 今すぐコンフォートゾーンから抜けろ! 昨日よりも今日、今日よりも明日、日々の積み重ねが必ず力になると信じて、まずは今できることを目一杯やろう。

          PDCAをいかに回すのか

          依頼の仕方

          今日はあることを仕事でお願いしていた。 どんな風にお願いできるといいかな、と悩みながらのお願いだった。 いくつか反省点があったなと思う。 ①自信なさげにお願いするのはよくない ②自分の身の振り方に困らないように自分がどう動くか明らかにしておく ③決断は自分がやる ①はずっっと自分の課題。 ②これはついつい忘れがちだが、それぞれがこの後どのように動くのか、自分はいかに動くのか、明らかにして伝えておけると双方が安心だろう。 ③終わりはいつなのか?いつ区切るのか?は自分

          依頼の仕方

          大学生の女にも腰を折って送ってくれる喫茶店のマスター

          昨日今日と旅行に行っていた。 一緒に旅行に行った友人と別れて、〆によさげなカフェでも行くかと、 奥まったところにあるカフェに行ってみた。 喫茶店の店内は木材でつくられ、かわいらしい座布団がしかれているような暖かい雰囲気。でも椅子はきれいに並べられ、整然とした様子。 迎えてくれたマスターはかなりお年を召している様子。 でも背中はピンと張っていて、昔ながらの喫茶店マスターの格好をしていた。 お客様は私以外だれもいなかった。 おすすめらしいコーヒーフロートをいただく。 粉

          大学生の女にも腰を折って送ってくれる喫茶店のマスター

          だれかと一緒にいること

          私はずっとひとりで生きるぞって思ってきた。 ひとと一緒に生きることが怖かった。 誰かに依存してしまい、自分がどうしたいのかわからなくなることが怖かった。 誰かがいないと不安になることが怖かった。 結局私は死ぬんだから、ひとりになるんだから。だれかに依存する状態になれてはいけない。 だから、ずっとひとりで自分の気持ちに折り合いをつけて、自分の中で整理して、感情にしまうこむようにしていた。 でも、最近になってひとと関わることが増えた。 恋人ができたり、友人と遊びに行ったり。

          だれかと一緒にいること

          『あんのこと』を見た

          ずっと気になっていた『あんのこと』を見た。 この社会における歪みが重なり合って、ひとりの少女が社会から消えてしまった物語だったと思う。 できるだけ率直でそのまま感じたことをここに残しておきたいと思う。 じぶんの居場所が失われることの恐ろしさ 杏ちゃんの自死のボトルネックが何かわからないけども、それでも、 やはり一番の問題点は最初につながった信頼できる居場所が、失われてしまったことだったのではないかと思っている。 だれかをケアする場所において、その場に対して責任を負ってい

          『あんのこと』を見た

          シングルマザーが母親役割からおりられる瞬間を獲得できるために

          私は川崎中1男子生徒事件のことをずっと覚えている。 9年前に川崎市で起きた集団リンチ及び殺害事件だ。 被害者のあまりに美しい笑顔は私たちに強烈な悲しみを与えて、 未成年であった加害者の特定、そして加害者家族へまでも留まることのない誹謗中傷を浴びせた。 そして、誹謗中傷の波は被害者の母親へも向けられた。 被害者少年が殺されたとき、シングルの母親は男と遊びに出かけていたらしい、と。 母親失格だ、なぜ助けられなかったのだ、そんな声がひたすら届いていた。 しかしながら、当時から

          シングルマザーが母親役割からおりられる瞬間を獲得できるために

          選挙の話をすることがよしとされる世界に住んでいる

          もうすぐで衆議院選挙がある。 若者の選挙意識の低さを問うことが若者に選挙を語らせにくくさせている私は思う。 私の周りでは比較的積極的に選挙の話が上がっている。 SNSで発信する人、授業で議論をする人、小ネタとしてシェアしてくれる人、いろんなツールやサイトを紹介してくれる人、選挙に行こうねと何の迷いもなく言える人。 そんな社会に私が生きている。 はたしてこれが普通だろうか。 私の両親は選挙にほとんど行かなかった気がする。 選挙の話が上がっている日もどこかに出かけること

          選挙の話をすることがよしとされる世界に住んでいる