「パブリックコメント制度」をあなたは知っているだろうか? なんか聞いたことがある気がするけど、自分には関係ないことだと思っていた。 しかし、調べてみると、どうやら一個人が行政に対して、意見を表明することができ、行政に何らかの回答を義務づけさせることができる制度らしい! めっちゃええやんけ! 知らなかった~~~! 今はデジタル庁のシステムによって、インターネット上で簡単に、 かつ匿名でも提出することができるようになっている。 サイトはこちらから↓↓ 案件一覧|e-G
個人主義的な社会では、私たちは自分の選択で自分の生きたいように生きている。 あれを食べたい、あそこに行きたい、こんなことをやりたい、こ そんな風に毎日が自分次第。 なんてハッピーな人生だろう! そんな社会で、もし一人ぼっちになってしまったら、私たちはどうなるのだろうか。 何でも食べ放題だし、どこでも行きたいところに行けるし、やりたいことはいつやっても怒られないし、 最高にハッピーだろうか…? そんなことはないだろう。 せっかく楽しいことがあっても喋る相手がいないし、
タイトルのまま! 今日は寝て明日やるぞ!!
最近、子どもたちに向けたイベントがあった。 牛乳パックや紙コップを使って子どもたちと一緒に遊ぶ。 こんな簡単な遊びを果たして子どもたちは楽しくやれるんだろうか? いざやってみると、とっても楽しく取り組んでくれた。 牛乳パックコマや糸電話など、なつかしくて、簡単な遊び。 子どもたちはどんな色を塗ろうか、シールを貼ろうか、 一人ひとり違った表現をしてくれる。 なかには、紙コップを積み重ねることをひたすら楽しんでいた子もいた。 紙コップを反対向きにしてみたり、数を大体で数
私は何になりたいんだろう。 ずっと考えてきたつもりだけど、段々現実が近付くにつれて、 なりたい自分を考えるのが怖くなってきている。 「なりたい!」「やりたい!」と言ったら、やらないといけなくなってしまう。 こわい。 できる気がしない。 私なんて生きるだけで精一杯なんだから。 そんな声が自分の中から聞こえてくる。 弱い自分が出て行ってくれない。 それでも、やりたいことがあって、やるべきことがある。 社会で生きる一人として、使命が、責任があるはず。 何のために私は生
時間はずっと私の目の前を過ぎ去っていく感じだった。 時間がないとすら思えないくらい、過ぎ去っていく感じ。 それも悪くないって思っていたけども、そうじゃない生き方をそろそろしてみるタイミングじゃないかって思っていた。 時間を意識化して、自分のものにして、時間を乗りこなすんだ。 30分ごとに大体やることを決めて、やってみる。 時々で調整しながら、やっていきたいな。
私の人生は果たしてPDCAが回っているのだろうか。 ここ数年何も成長していないのではないか。 そんなことを強く強く感じてしまっている。 やりたくないことから逃げて、 苦手なとから逃げて、結局ずっとコンフォートゾーンに留まってしまう。 今すぐコンフォートゾーンから抜けろ! 昨日よりも今日、今日よりも明日、日々の積み重ねが必ず力になると信じて、まずは今できることを目一杯やろう。
今日はあることを仕事でお願いしていた。 どんな風にお願いできるといいかな、と悩みながらのお願いだった。 いくつか反省点があったなと思う。 ①自信なさげにお願いするのはよくない ②自分の身の振り方に困らないように自分がどう動くか明らかにしておく ③決断は自分がやる ①はずっっと自分の課題。 ②これはついつい忘れがちだが、それぞれがこの後どのように動くのか、自分はいかに動くのか、明らかにして伝えておけると双方が安心だろう。 ③終わりはいつなのか?いつ区切るのか?は自分
昨日今日と旅行に行っていた。 一緒に旅行に行った友人と別れて、〆によさげなカフェでも行くかと、 奥まったところにあるカフェに行ってみた。 喫茶店の店内は木材でつくられ、かわいらしい座布団がしかれているような暖かい雰囲気。でも椅子はきれいに並べられ、整然とした様子。 迎えてくれたマスターはかなりお年を召している様子。 でも背中はピンと張っていて、昔ながらの喫茶店マスターの格好をしていた。 お客様は私以外だれもいなかった。 おすすめらしいコーヒーフロートをいただく。 粉
私はずっとひとりで生きるぞって思ってきた。 ひとと一緒に生きることが怖かった。 誰かに依存してしまい、自分がどうしたいのかわからなくなることが怖かった。 誰かがいないと不安になることが怖かった。 結局私は死ぬんだから、ひとりになるんだから。だれかに依存する状態になれてはいけない。 だから、ずっとひとりで自分の気持ちに折り合いをつけて、自分の中で整理して、感情にしまうこむようにしていた。 でも、最近になってひとと関わることが増えた。 恋人ができたり、友人と遊びに行ったり。
ずっと気になっていた『あんのこと』を見た。 この社会における歪みが重なり合って、ひとりの少女が社会から消えてしまった物語だったと思う。 できるだけ率直でそのまま感じたことをここに残しておきたいと思う。 じぶんの居場所が失われることの恐ろしさ 杏ちゃんの自死のボトルネックが何かわからないけども、それでも、 やはり一番の問題点は最初につながった信頼できる居場所が、失われてしまったことだったのではないかと思っている。 だれかをケアする場所において、その場に対して責任を負ってい
私は川崎中1男子生徒事件のことをずっと覚えている。 9年前に川崎市で起きた集団リンチ及び殺害事件だ。 被害者のあまりに美しい笑顔は私たちに強烈な悲しみを与えて、 未成年であった加害者の特定、そして加害者家族へまでも留まることのない誹謗中傷を浴びせた。 そして、誹謗中傷の波は被害者の母親へも向けられた。 被害者少年が殺されたとき、シングルの母親は男と遊びに出かけていたらしい、と。 母親失格だ、なぜ助けられなかったのだ、そんな声がひたすら届いていた。 しかしながら、当時から
もうすぐで衆議院選挙がある。 若者の選挙意識の低さを問うことが若者に選挙を語らせにくくさせている私は思う。 私の周りでは比較的積極的に選挙の話が上がっている。 SNSで発信する人、授業で議論をする人、小ネタとしてシェアしてくれる人、いろんなツールやサイトを紹介してくれる人、選挙に行こうねと何の迷いもなく言える人。 そんな社会に私が生きている。 はたしてこれが普通だろうか。 私の両親は選挙にほとんど行かなかった気がする。 選挙の話が上がっている日もどこかに出かけること
私が関わらせてもらっているお子さんが住む地域には、いろんな優しさに溢れた人びとが住んでいる。 印象的な方に、居酒屋の店主さんがいる。 居酒屋さんって怖そうだし、大人の世界って感じ。 それにもかかわらず、その店主さんは、子どもが大好き。 めっちゃ優しい。 子どもを見かけたら遠慮なく声を掛ける。 今日は何してたの?それいいね!などふらっと声を掛けてくれるのだ。 どんな人であっても、どんな場所であっても、だれかに声を掛けられて、自分の話を聴いてもらえる。 そんな関係性が
今日はたまたま自分が所属している団体の紹介をさせてもらう機会を得た。 ということで、振り返っておきたい。 よかった点 ①慣れてきたこと 練習量に対する質という点では、かなり向上してきたと思う。 ②対象の気持ちを汲んだ話し方をすること 「今皆さんはこんな気持ちだと思いますが~~」といったことを言う。 ③聴き方の導線を引けたこと どんな点に着目して聞いてほしいといったことが言えた。 改善点 ①とにかく間がない 言葉に詰まるとき以外、一気に話しすぎてしまう&説明しすぎ
本の出版社や本屋さん、たくさん本を持っている個人の方、などが一同に商店街に集まるイベントに行ってきた! とってもたのしかった。 金欠気味なのに、ついついたくさん本を買ってしまった。 ガチで本を買いに来た玄人っぽい人、 ふらっと立ち寄った大学生カップル、 難しそうな本を嫌ってわかりやすそうな本をひたすら探すお姉さん、 全然売れんな~と愚痴をこぼす店主さん、 本を買う度にめっちゃ喜んでいる店主さん、 我関せずと基本的に本を読んでいる店主さん、 そのすべてがいい!と思ってしま