藤田嗣治「神兵の救出到る」・鑑賞編~戦争画よ!教室でよみがえれ⑫
戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画による「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治とレオナール・フジタ
(4)藤田嗣治「神兵の救出到る」・鑑賞編ー戦争画を使った「戦争」の授業案
藤田の戦争画と言えば『アッツ島玉砕』や『サイパン同胞臣節全うす』などの本格的〝歴史画〟が有名だが、私はこの『神兵の救出到る』が好きである。
この絵には日本軍兵士とインドネシア女性のストーリーがあり、謎解きの面白さがあるからだ。
薄暗い部屋で猿ぐつわをして縛られた女性。その視線の向こうには明るい光をバック立つ銃剣を構えた日本兵。女性はすがるような目で兵士を見ている。この二人の関係を見ればタイトルの「救出」が理解できる。日本兵が女性を「救出」している場面である。
部屋の中を見てみよう。椅子が倒れ、衣服類が散乱している。床には酒瓶や箱が転がっていて、おもちゃの汽車らしきものも落ちている。このおもちゃの汽車は精巧にできたかなりの高級品であるようだ。子どものおもちゃかもしれないし大人の趣味模型なのかもしれない。そして、机の下にはネコがうずくまっている。
日本兵が入ってくる玄関の扉も豪華だし、大きな壁の絵や屏風のような衝立も立派なものである。作り付けの装飾棚の上には高価そうな燭台や置時計がある。ギリシア風の円柱や奥の部屋にあるレースのベッドカーテン。そこには、横たわる裸婦像の絵画が飾られている。これは相当に裕福な家である。
それにしてもこの家の惨劇はどういう事態なのか。
泥棒に入られた?―だが、この家の者は女性以外にはいない。数人の家族が同じように縛られているならわかるが、縛られているのはただ一人。そうすると、泥棒に家を荒らされたのではなく、この家の者が慌てて逃げだした後であると推定できる。では、なぜこの女性だけが縛られているのか。
女性の肌の色や服装、そして奥の部屋の天井にあるシーリングファンを見ればここが東南アジアであり、縛られているのが現地女性であることがわかる。ということは日本兵の到来を恐れて逃げ出したのはアジア各国を植民地にして搾取していたヨーロッパ系の人間であるとわかる。
ご存知のように西洋列強はアジア各国を侵略し、植民地にしてきた。その搾取は過酷なものだった。
この絵の当時の解説によれば「日本軍を恐れたヨーロッパ人が逃亡したあとの蘭印の様子がその主題」(河田明久責任編集『日本美術全集第18巻 戦争と美術』p227金子牧氏の解説より。ちなみに蘭印は今のインドネシアのこと)としているそうである。他の解説では明確にパレンバンやメナドに降下した空挺部隊の姿だとしているものある。
ということは、日本軍の進撃を知った裕福なオランダ人が、雇っていた現地インドネシア女性のメイドを縛り上げ、着の身着のままに逃げ出した後、ということになる。
では、なぜ縛り上げる必要があるのか。この家の主人であるオランダ人はメイドの女性が逃げて日本軍に通報するのを止める為に縛り上げ、逃げる時間を確保したのだと思われる―作者の藤田嗣治はこうした場面を見た兵士から直接、間接に話を聞いたのかもしれない。十分に有りうる話だ。
だが私はこの絵を見るときには、個別具体的なエピソードよりもこの絵が何を象徴しているのか、ということが重要だと考える。なぜなら、当時の日本人がアジアと西欧の関係をどうとらえていたのか、がわかるからである。
先に紹介した金子牧氏は室内の絵に描かれているのは「西洋の神話画によく登場する略奪の場面のようにもみえ、西欧列国のアジアにおける搾取を暗示しているとも考えられる」としている。また早見たかし氏はプロメテウスを「救出」するヘラクレスが描かれているのではないかと言う。何が正解かはわからないが、ここに描かれている絵の中の西洋画に日本とアジアと西欧の関係が暗示されていることだけは間違いない。藤田はこの絵でアジアを搾取する西欧とそれを救うために立ち上がる日本を描こうとしたのである。
しかし、金子氏は続けて解説にこう書いている。
「しかしその銃剣の矛先をアジア女性に向け対峙する日本兵の姿は、「神兵の救出」というタイトルとは裏腹に、日本軍はアジアにとって新たな脅威であることを暴露してしまっているようである」(河田明久責任編集『日本美術全集第18巻 戦争と美術』p227)
この解説は何を意図しているだろう。作者本人である藤田が西欧によるアジア人への搾取と脅威を描いているのは間違いない。ということは、これは藤田が意図せずとも「もう一つの事実」を描いてしまったと言いたいのか?それとも藤田はたいへん「良心的」な画家で西欧の脅威を描くと同時にさらに日本の脅威をも深く暗示した構成にしたと言いたいのか?
ここは戦場である。兵士の顔は緊張感に満ちている。日本兵が銃剣の先を前に向けるのは当たり前だ。室内には敵が潜んでいるかもしれないのだから。戦場なら誰だってそうするに違いないごく常識的なポーズである。女性の体の動きと顔の表情も見てほしい。体は兵士に向かって前のめりだ。日本兵が恐ろしい存在ならば体はのけぞるはずである。顔は真正面から兵士を見ている。その目は「助けて!」と叫んでいる。
日本兵とインドネシア人女性の二人の姿と表情そしてその間の空間に流れるものを読めば金子氏の解説が的外れであることがわかる。金子氏は気の利いた評論をしているつもりかもしれないがまるで見当違いというものだ。ただし、これは私の憶測だがこんなふうに「日本も悪い」感を出した評論をしないと格好がつかないし、美術の世界から白い目で見られるのだろう。悲しい現実だがこれが今の日本を覆っている常識さえも通じない捻じ曲がった戦争観なのである。
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