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奈良の大仏様はどう教えられてきたのか?(12)大仏よりも薬・病院?①ー歴史授業の進化史・古代編

もくじ
(1)はじめにーならの大仏さま
(2)天皇はいばってる?ー金沢嘉市氏の授業
(3)民衆を苦しめた?ー山下國幸氏の授業
(4)壮大な無駄?ー向山洋一氏の授業
(5)大仏よりも薬・病院?ー米山和男氏の授業
(6)オールジャパン・プロジェクトー安達弘の授業
(7)日本人と天皇と王女クラリス
(8)三島由紀夫と歴史教育

(5)大仏よりも薬・病院?ー米山和男氏の授業①「矛盾」から始まる授業

 向山氏と同じ80年代の「奈良の大仏」の授業をもう1本紹介したい。
 授業者は米山和男氏である。(松本健嗣・馬場剛・山口善彦・野地泰次・米山和男・加藤陽一郎著 社会科の初志をつらぬく会(個を育てる教師のつどい)編『シリーズ・個を育てる8 追究する子どもが学ぶもの』黎明書房 第4章「追究過程で学習問題はどう発展していくか」)
 この授業は前掲書の発行が1990年となっているので、向山氏と同じく80年代に実施されたものと思われる。

 以下、この米山氏の授業がたいへんすぐれた授業であることを見ていくと同時に、社会科という教科の中の行われる歴史学習の問題点を探るモデルとしたい。米山氏の実践の特徴は以下の三つである。

①政治先習
②子ども自身の興味・疑問・問題の重視
③集団思考による継次的な問題の追究


 米山氏によれば①の「政治先習」とは、歴史の授業に先立って政治学習を行い民主主義を学ぶことであり、その「現代のしくみ」である民主主義を学ぶことで歴史を学ぶ視点ができるのだという。

 そして民主主義をもとにした現代の政治という具体的な視点から、歴史をより深く見ていこうとするものなのです。歴史を見ていく足場を明確なものにすることによって矛盾もより明確に生まれてくるであろうという考え方なのです。(127ページ)

 この引用にあるように米山氏は子どもが感じる「矛盾」を重視する。この「矛盾」とは「現在の自分の生活感覚からいくと考えられないこと」であると説明されている。つまり簡単に言えば「現代とのちがい」である。米山氏の授業の重要なポイントはこの「矛盾」であり、これが①~③を貫いている。このポイントをもとに授業を見ていきたい。

 指導計画は以下の通りである。(92~93ページ)

指導計画(7時間)
1 東大寺の大仏 (1)
*写真などから学習問題をつくる
2 年表をつくる (2)
3 大仏造営について (2)
*大仏造り
*大仏造りの技術と大陸文化
4 聖武天皇と大仏 (1)
*大仏建立の願い
5 農民の暮らし (1)
*柿本人麻呂のうた

1について
 導入は大仏の大きさを実感させてその驚きから、子どもたちが問題にしたいことを引き出している(こうした導入は通常よく行われるものである)。

 子どもたちは「そんなに昔に、どんなふうにしてこんなでっかい仏をつくったのだろう」「だれがつくったのだろう」「なんのためにつくったのだろう」の三つの問題を作ったという。ひとつめはHOWであり、ふたつめはWHOである。そして三つめがWHYへとつながる問いである。「なぜ」を問う課題が子ども自身から出てきている。やはり、子どもたちは昔の人の心を探ってみたいのである。

 なお、米山氏は、子どもたちのこうした驚きは、昔は現代よりも劣っているはずなのにという歴史観や日頃見慣れている仏像に比べて桁違いに大きいという「矛盾」から生まれているのだという。

2・3について
 次に氏は二時間の年表づくりを通して「当時の時代の技術や人々の生活様式、生活レベル、あるいは歴史的な事件」などの時代背景を学習させている。さらに二時間かけて造営技術や建設の様子も調べさせている(私の授業でも同じ内容で調べる時間をとっているが軽く見積もって私の時間の4倍以上である。ここに時間をかけることは意義のあることだが歴史学習全体の設計を考えたとき「奈良の大仏」で7時間かけることには疑問がある。が、この論稿のテーマとははずれるのでここでは触れない)。

 この子どもたちのリサーチ活動で大仏を取り巻く当時の「状況」という外郭情報が豊富に子どもたちに「入力」される。その時代の人物の内面を探るための視点が複数もてる用意ができているということになる。ゆえにこうした調べ学習を進めることで次の「だれがなんのために」という問題が子どもたちの中でより鮮明になっている。

 記録によれば『聖武天皇の詔』はこの時間で扱われたようだ。ただし、子どもたちが詔をどの範囲まで読んだのかは具体的に示されていない。

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