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奈良の大仏様はどう教えられてきたのか?(1)はじめにー歴史授業の進化史・古代編

 この連載は戦後の歴史教育を「授業」でたどろうという企画である。

 各年代の代表的な学校の歴史授業を取り上げ、時代順にたどることで、どのように〝進化〟してきたのかを見ていく。子どもたちの豊かな成長にとってどのような歴史授業こそが望ましいものなのか、そして正しい歴史教育とはどうあるべきなのかを考える材料としていただければ幸いである。

 この連載では古代史の授業で必ず取り上げられる教材ー「奈良の大仏」をテーマにして進める。

 もくじ
(1)はじめにーならの大仏さま
(2)天皇はいばってる?ー金沢嘉市氏の授業
(3)民衆を苦しめた?ー山下國幸氏の授業
(4)壮大な無駄?ー向山洋一氏の授業
(5)大仏よりも薬・病院?ー米山和男氏の授業
(6)オールジャパン・プロジェクトー安達弘の授業
(7)日本人と天皇と王女クラリス
(8)三島由紀夫と歴史教育

(1)はじめにーならの大仏さま

 まずは、奈良の大仏に関連する一冊の絵本を紹介したい。

 加古里子氏と言えば絵本『だるまちゃんとてんぐちゃん』などの「だるまちゃん」シリーズで有名な絵本作家である。このシリーズは幼少期に読んだ人もいるだろうし、ご自分のお子さんやお孫さんに読み聞かせした経験をお持ちの方もいるだろう。

 じつは加古氏は、『かわ』や『たいふう』などの科学絵本なども手掛けているのだが、歴史ものも描いていている。

 その加古氏の作品に『ならの大仏さま』という絵本がある。

 絵本と聞いて簡便な内容を思い浮かべたとしたら大間違いだ。これ一冊で奈良の大仏さまのすべてがわかる大仏百科事典と言っても過言ではない内容である。

 大仏建立当時の社会背景や地理的情報、大仏づくりにかかわった歴史上の人物の姿、大仏の制作プロセスと造営技術、その後の二度にわたる破壊と再建のようすなど詳しい解説と美しい絵でわかりやすく読むことができる。

 ちなみにタイトルが「なら」とひらがなになっている。これはその言葉の意味するところ(平らな所・楢の木等)や平城・那羅・乃楽・奈良などの字があてられてきたことをふまえて意味の多義性を尊重してひらがなで記しているのである。こんなところにも加古氏のこだわりが見える。その加古氏が最終章「大仏さまと私たち」でこう書いている。

 したがってならの大仏は特定の個人や、少数の権力者だけの力によって建てられたのでも、造られたのでも、まもられてきたのでもなく、そこにはさまざまな人たちの願いや思いや努力や知恵や汗や涙があったことを、はっきりと知ることができます。大仏を造り、焼き、再建し、保存してきたのは、まぎれもなく人間の意志、行動、考えの結果です。(加古里子『ならの大仏さま』復刊ドットコム 76ページ)

 歴史の授業で奈良の大仏を教えるときはこの加古氏の言葉が授業の目標にならなければならない。このような歴史的な建造物を授業で扱うならばそこに「人間の意志、行動、考え」があることを伝えたい。

 というわけで、加古氏がこの絵本の中で大仏建立にかかわってどんな人物を取り上げているか見てみよう。氏は以下の四人の人物を取り上げている。

 聖武天皇  光明皇后 行基 国中連公麻呂

 その他にも元正上皇、元明天皇、孝謙天皇、橘諸兄、藤原仲麻呂、僧玄昉、吉備真備なども出てくるが、脇役にすぎない。

 光明皇后は仏教の教えを実践して悲田院・施薬院を設け、孤児や病人を助けたことで有名だ。聖武天皇に大仏建立を強く勧めたと言われている。国中連公麻呂は仏像の設計・製作・デザインを担当したクリエーターである。

 しかし、やはり最重要人物は聖武天皇をおいて他にはいない。実行部隊となって動いた行基も重要であるが、大仏建立の意志を高らかに宣言した聖武天皇こそが主役である。以下、この聖武天皇が教材として授業の中でどう扱われてきたかを中心に5つの授業を見ていくことにする。 

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