鶴田吾郎「神兵パレンバンに降下す」・授業編~戦争画よ!教室でよみがえれ⑤
戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画による「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治とレオナール・フジタ
(4)では毎回、1枚の戦争画を取り上げてその絵を教材にした戦争の授業案を鑑賞編(前編)+授業編(後編)のワンセットで提案していきます。
(4)鶴田吾郎『神兵パレンバンに降下す』・授業編ー戦争画を使った「戦争」の授業案
教科書には戦争が始まった状況がこんなふうに書かれている。
「日本は、ドイツ・イタリアと同盟を結ぶとともに、石油やゴムなどの資源を求めて、東南アジアにも軍隊を送りました。こうした動きに対して、中国を援助していたアメリカは警戒を強め、日本への石油の輸出を禁止するなどしたため、両国の対立は深まっていきました」(小学社会6 教育出版)
これだけではなぜ日本が戦争に踏み切ったのか?がわからない。教科書の記述には「どのように」=HOWという経過は書かれているが、「なぜ」=WHYという原因や理由が書かれていない。
まず、なぜ日本が「石油やゴムなどの資源」を「求めた」のかがわからない。「求めた」理由が書かれていない。わからないまま「軍隊を送りました」と書かれれば何やら不穏な気持ちになるのは当然だ。教科書記述の最大の欠点である。
これではまるで東南アジアに軍隊を送ったことが戦争の原因のように読めてしまう。そもそも事実の前後関係が逆さまなのだ。①アメリカ等がエネルギー資源の対日輸出を制限した→②そのため日本は生き延びるために資源確保が必要になった、というのが正しい順番である。こんな初歩的な前後関係さえ教科書執筆者はわかっていない。
そこでこの絵で「太平洋戦争」を導入する授業を提案したい。
まず鶴田吾郎の絵を見せよう。最近は児童・生徒が各自でタブレット端末をもてる時代になった。画像などの資料を見せるの大きな絵や機材を運び込む手間が省けるようになり、手元で見せることができる。
『この絵を見て気づいたことを出しましょう』
おそらく児童・生徒は以下のような事柄を出してくると思われる。
*青空がきれい
*青・白・緑の三色で描かれている
*明るい感じがする
こういう色による表現に気づいてくれると次への展開が容易になる。
*パラシュートでたくさんの人が降下している
*降りた人が戦っている
*銃を撃っている
*手榴弾を投げている
*たぶん画面の左側に敵がいるはず
たくさんの兵士が降下していることで大がかりな作戦行動であることが理解できる。また所持している武器に気づけばパラシュートによる作戦のメリット・デメリットに気づくこともできるだろう。
まずは後者から取り上げてみよう。
『パラシュートによる敵前降下のメリットとデメリットを考えてみましょう』
子どもたちからはメリットとして「奇襲できる」「一度に大量の兵士を目的地点に連れていける」「飛行機で運ぶので兵士が疲れない」などが出てくると予想される。またデメリットは「下から狙い撃ちされるのではないか」「かなり訓練しないと実施できないだろう」「天候が悪いと中止かな?」などが出てくるだろう。
ここで大事なのは正しいパラシュート部隊の知識を得ることではなく、戦場について具体的にイメージしてみることだ。ただぼんやりと絵に浮かぶパラシュート部隊を見てるのではなく、その効能と危険性を一度は自分で具体的にイメージして考えることが以下の学習の土台になる。
子どもたちの意見を「どれもよく考えたね」とほめた後に、次のような話はしておきたい。
『パラシュートによる降下作戦は当時、どの国も敵前にいきなり奇襲できるという効果を認めていました。しかし、○○さんが指摘したように空中をフワフワ浮いているのですから下から狙い撃ちされやすく、大変危険でもありました。どの国もパラシュート作戦を実施しましたがすべて失敗といっていいものでした』
と説明して先ほど解説したように
『ドイツ軍は50%、ソ連軍は60%、アメリカ軍も50%の兵士を失っているのに比べたパレンバン作戦のときの日本陸軍空挺部隊のそれは12%で、人命を重視したすぐれたものでした』
と話して聞かせれば、きっと子どもたちは驚き感心するにちがいない。
次はメインの発問である。
『日本軍のパラシュート部隊はどこの国と戦っているのですか』
ヒントはこの絵のタイトル「神兵パレンバに降下す」にある。パレンバンという地名から地図帳を調べればここがインドネシアであることにたどり着ける。そして以下の「揺さぶり発問」を子どもたちに投げかけてみたい。
『では日本はインドネシアと戦ったのですか?』
子どもたちから次のような反応が出てくれば面白い展開になる。
「インドネシアと戦ったなんて聞いたことないなあ」
「でも教科書には東南アジアに軍隊を送ったと書いてあるよ」
「アメリカ軍がインドネシアを助けてたのかな」
「インドとかイギリスの植民地だったよね。ここもイギリス?」
植民地という言葉が出てくればそのクラスはたいしたものだ。おそらく担任の先生が日本の近現代史の要所を押さえた学習をしているのだと思う。でも、植民地という言葉が出てきても、出てこなくても子どもたちの中から出てきた疑問から次の課題を黒板に板書したい。
日本軍のパラシュート部隊はどこの国と戦っているのだろうか。
ここで子どもたちの手持ちの参考書・図書館の本、そしてインターネットで調べさせたい。ただし、子ども向けの参考書・本ではこの課題の解答にはたどり着けない。それほどに子ども向けの戦争記述は「偏向」している。しかし、インターネットなら正確にたどり着ける可能性がある。子どもたちのリサーチで当時の西洋列強によるアジア諸国の植民地化がわかれば上記の課題の回答が見つかるはずだ。
もちろん正答はオランダ。
日本軍はインドネシアを植民地としていたオランダ軍と戦ったのだ。これは大人でも意外に理解されていない。ほとんどの人は日本がアメリカ・イギリスと戦争をしていたことは知っていてもオランダと戦ったことは知らない。
さらにインドはイギリスの、ベトナムはフランスの、フィリピンはアメリカの植民地であったこともリサーチされるだろう。子どもたちのリサーチによってこうしたアジアの現状を明確に理解してもらうことが重要である。ここまでリサーチできれば、なぜ東南アジアが太平洋戦争の戦場になったのか?が理解できるはずだ。
また、日本軍の目的は精油所奪取だったことは重要なポイントなので、日本陸軍空挺部隊の目標は飛行場と2つの巨大精油所だったことは教えなければならない。精油所はオランダとアメリカの会社のものだ(インドネシアのものではない)。この2つの精油所が爆破されるのを防ぎ、無傷で押さえるためにパラシュート降下という奇襲戦法が取られた。
『ではなぜ日本は石油が必要だったのでしょうか』
ここは子どもたちに予想をもとに話し合わせよう。グループで意見交換させてもいいかもしれない。そして結論はあえて出さずにオープンエンドで終ってよい。子どもたちの中にはきっと家に帰って調べる子が出てくるはずである。
次の2時間目は私の授業「悩みぬくアメリカとの戦争の決断」をぜひ追試してもらいたい(『歴史人物になってみる日本史』高木書房 p270~289)。
さらに3時間目の授業はこの絵をもう一度見るところから始めるというのもいいかもしれない。
『前回、この絵を見て「青空がきれい」「明るい感じがする」と感想を言ってくれた人がいました。作者の鶴田吾郎さんはなぜこの絵を明るい色調で描いたのだろうか?当時の日本人の気持ちになって考えてみましょう』
子どもたちからどんな意見が出てくるだろうか。おそらく次のような観点から出されるのではないかと予想される。
一つは絵にあるパラシュート部隊の奇襲作戦の鮮やかな成功から当時の痛快な気持ちを予想した意見。
もう一つは石油禁輸措置などアメリカをはじめとしたまるで日本いじめともとれるABCD包囲網に対する閉塞感からの脱却からの開放感を予想した意見。
さらに日本と同じアジア諸国が西欧列強に植民地化されていた事実から同じアジアの国を助けたい!という日本人のやる気の表れとする意見。
どれも当時の日本人なら誰もが感じていた「気持ち」である。歴史教育は当時の人々の立場に立ってその当時のことを理解するのが基礎・基本だ。現代から当時を評価するのはその後である。自分たちのご先祖様の決断をまずはリスペクトすることが歴史的思考のマナーというものである。