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アクティブ・イマジネーション【2】明晰夢

明晰夢とは、夢の中で夢だと意識する夢、ルシッド・ドリームである。
アリストテレス、チベット仏教、ドリームヨガ、明恵、ミンデル、サトルボディ、エーテル体、悪夢ちゃん、ヘミシンク、セノイ族やらなんだかわーっと単語が浮かぶけど、まずは自分の体験に絞って書きたい。

一部体外離脱とどちらが先か覚えていないが、よく金縛りにあう子どもだった。
そして金縛りにあい、解こうともがいているうち、身体は動いていないのに、幻の腕が宙を掻いている。

今度は足のつま先にヘリウムガスが入っているかのように、足の意識だけが浮く。四肢を切断した後に感じるという、幻肢のようである。
その他に、両手のひらにぐるぐるとした渦巻きの気を感じる時もあれば、身体全体(の意識)がハンドスピナーのように回転することもあった。

このような状態は、身体が寝ていて脳が起きている状態であろう。そのまま眠りに落ちるとまず明晰夢になる。

初期の頃は、夢と自覚しても起きられず怖い思いをしたり、空を飛ぶというより1メートルほど浮く、しかも力を入れていないとすぐ落ちてしまうような感じだった。

今思えば、中学生の頃の経験から飛躍的に明晰夢の質が変わった気がする。成績に伸び悩んでいた私は試験前に、うろ覚えのタイトルだが「自律訓練法で寝ている間に成績アップ」という記事を読み、普通に勉強すればいいのに自律訓練法を練習した。
横になるか座るかし、まずは「右上が重い右腕が重い…」そして左腕、右足、左足も同じように重くなるまで感じたら、今度は「右腕が温かい…」と順繰りに温かさを感じてゆく。四肢が存在していないかのように感じたならば意識的な金縛りと同じである。成績は案の定上がりはしなかったが、明晰夢は頻繁に見るようになった。
後で調べると、この自律訓練法は明晰夢を見る最短法ではと言われていることがわかった。

明晰夢のなかで、五感のうち視覚が一番先に拡大する。私の場合、二番めは触覚聴覚で、次に嗅覚味覚だった気がする。

普通の夢から、夢だと気づいた瞬間に明度彩度が上がり、景色が拡大する。
カスタネダが言っていたように自分の手を見、指をつまんでびょーんと伸ばしてみる。確実に夢だ。景色はいろいろだが、タイガやアマゾンらしき森の上空や南の島などが印象的だった。
一度、あまりにも美しい透明度の青い海に、ゆっくりと海亀が泳いでいる上空を飛んでいた。(どこだろう)と思っていると、写真のキャプションのように「けらま」と文字が出た。調べて全くそっくりだったので、ホントに行ってたのかもと思った。

明晰夢だと歩くのが面倒なので必ず飛ぶ。その飛びかたもフラフープのような輪につかまってたり椅子に座ったままだったりということもあったが、基本的にスーパーマンのような飛びかただ。
それも高く速くなっていった。

飛んでいる時に風を切るのもわかるし、極寒の上空では、氷の粒を感じる。けれど寒い痛いというのはほとんどない。
夢だとわかっているので、マイナスの感覚は感じないようにしているのだと思う。
(普通の夢だと寒くて起きたりもする)

そのうち、何もない空間にお菓子を出したり、壁を抜けたりとできることが増えていった。お菓子は甘いし、壁を抜ける時はちゃんと体の細胞が壁の粒子の間を通り抜ける感触がする。ただ、行きたい場所に自由には行けない。ニューヨークにいきたいと思っても良くてそれっぽい都会だし、知っている場所も微妙に景色が違う。有名人には会えない(予期せず会うことはある)

不思議なのは、最初の頃、飛んでいても夢の世界の住人に私の姿は見えなかった。ごくたまに眼が合うようになり、追いかけられることも出てきた。逃げられるし、捕まっても死ぬことはないとわかってはいるのだが、その世界、例えばパラレルワールドでの自分が実体化しつつつあるんじゃないの、とかこちらの世界で見られる幽霊は、違う世界の明晰夢人かもな、と考えると、霊として退治された場合、戻れなくなるのかなと危険も感じた。

ただ明晰夢は毎日見るわけではなかった。やはり休日の朝、二度寝した時に見やすい。または昼寝した時など。
夜、寝つきが悪い時に自律訓練法をするも「右腕が重い」を二、三回唱えたら寝てしまって、夢も覚えてなかったり。

二度寝で明晰夢見よっかな、という時は自律訓練法の後、何個かパターンがあって、望遠鏡を反対から見た時のように小さく遠い景色が現れ、車窓から見ているように流れる。輪郭もぼんやりして見ようとすると視界から逃げたりするのを根気よく見ていると、突然そこへ入り込み景色が拡大する。他は、耳鳴りはしないがぼわんぼわんと振動し、体から抜けたと思い窓を開けるといつもの景色ではなく、明晰夢の方だと気づく。

東南アジアのマレー半島中南部に居住する山岳民族のセノイ族は、夢を家族と語り、見た悪夢を違う結末にチェンジする方法や夢に出てきた象徴を考えることで、現実生活で情緒が整い、生きる力を養えると考える。夢見の技法である。ただ夢に耽溺するのは無意識に落ちるだけなので必ずそこは意識すること。よく夢ノートを書きすぎると狂うなんて言われるが、書いた後、それを吟味したり現実とのシンクロを考えたり、小説やアートの題材にしたりと、意識界と繋げることが大事と思う。

私もある夢を見て、夢に出てきた固有名詞を調べたことで日本の神さまを調べることが趣味となった。
煮詰まると、夢にまたヒントが出たりする。ありがたいと思った。
最近は、5月に転職してから忙しく、夢も見ないというか覚えていない日が続いていた。
ところがこのnoteを始め、明晰夢について改めて思い出したり書いたりしたことで、また夢を見始めた。というか覚えているようになった。
なかなか二度寝ができる環境でないので普通の夢だが、今は特に明晰夢じゃなくても構わない。

昨日は、久しぶりに亡くなった母が出てきて、おにぎりをたくさん作ってくれた。

今回はこのへんで。
体外離脱もどき、バイロケーシヨン、見たスピリチュアルな夢などについても今後もゆっくりと書いて行きたいと思う。

つづく(不定期)

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ささら猫
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