わたしたちの未来はいつも、わたしたちの想像を超えてくる《はじめての瀬戸内フォルケホイスコーレレポート》
今日は、ちょうど1年前に書いたnoteの記事から、不思議な「こと運び」で夢がひとつ叶ってしまった、そんなお話をしようと思います。
昨年の11月末、わたしはこんな記事を書いていました。
瀬戸内というエリアが好きで、ここで人生を考えるような場所をつくりたい。同じような想いを持っている人と出会いたい、と。
その後ぽつりぽつりと何人かから連絡をもらって、実際に今年の6月から企画をつくってきて、プログラムを開催できたのが11月頭。
わたしがこの記事を書いたときに思っていたより、本当はずっとハードルは低くて、想像以上の楽しさと感動に出会えた、とても素敵な時間がそこにありました。
ちなみに、この記事に書いていた”出逢いたい人・場所”にはすべて出逢うことができて、さらに「同じ夢を叶えたい」という人たちにも出逢えました。
じわじわ感じてきているけれど、noteって、けっこうすごい。
そして、勇気を出して言葉にしてみることって、本当に大事なんだなと。
ここからは、4日間の様子を少しずつ振り返るとともに、この一連のできごとを経て、わたしの中に生まれてきたことを書いてみたいと思います。
【テーマ】あなただけの物語に気づき、未来への一歩を踏み出す
今回のプログラムをつくるときに思い描いていたこと。それは、
何かをめざすのではなく、今あるものを見つめるような時間
知識を得るのではなく、それぞれの人生が響き合うようなひととき
誰かの物語が、誰かの一歩につながっていく交差点
そんな場づくりをめざしたいと思っていました。
そして、プログラムのWebページに書いていたのはこんなこと。
そして、7月7日に企画を告知したところ、わたしの友人、友人の紹介、SNSなどをきっかけに、20代〜50代の8名の方が瀬戸内・直島という場所に集まってくださいました。
(なかにはnoteがきっかけで参加してくださった方も!)
実は、今回のプログラム、わたしが会社員だったときにつくった中学生向けのキャンプが元になっています。旅行会社を辞めて、教育の会社に入って、留学事業部に所属していたとき。
誰もが簡単に海外に行けるわけじゃない。運よく海外に行けたとしても、英語を学ぶだけなら意味がない。
留学の価値って、自分の世界を広げて、人生を考えることに意味があるはず。
だとしたら、日本でもできることがあるのでは?
そんなことから、直島での未来を描くキャンプというのを企画しました。そのときに気づいたのは、
そうして、合計40名の方が集まってくれたのですが、なんとコロナ禍で企画自体が中止になってしまったのです・・・。
「わたしの新しい道を見つけたかもしれない…!」
そんなふうにも感じていたからこそ、とてもとても悲しいできごとでした(そして、その後その企画が実現することはありませんでした)。
そこから5年。
わたしは、ワークショップデザイナーの資格をとって、通信制の芸大を出て、2つめの会社を辞めて、デンマークにあるフォルケホイスコーレに行って、イギリスにあるシューマッハ・カレッジに行って、自分の場づくりをはじめました。
そうしてやっと、去年の秋にnoteを書いたことをきっかけに、もう一度直島で、今度は大人向けに、3泊4日で宿泊の企画をやることになったのです。
それはまるで、あのときのわたしを取り戻しに行くようなプロセスでもありました。
そんなふうに思うこともあったけれど、勇気を出して一歩踏み出してみれば、世界はとても優しくて。
「やりたいって言ってたこと、本当に実現するんだね」と喜んでくれる人たちがいて。
わたしが純粋にやりたいことを、受け取りたいと言ってくれる人がいて。
「同じことをやりたいと思っていたから、勇気をもらいました!」とメッセージをくれる人がいて。
参加者側の視点しかなかった頃は、その意味がわからなかったけれど、主催する側になって思うのは、それって本当に嬉しいこと。
そう気づいたことから、わたしももっと誰かを頼って、誰かの一歩を応援していける人になろうって思えるようになったのでした。
そうして、ほとんど偶然の出逢いではじまった4日間は、とてもあたたかくて、不思議と涙がこぼれる豊かな時間につながってゆくのでした。
【1日目】そのままのわたしで出逢う
ここからは、瀬戸内フォルケホイスコーレというものが、どんな4日間だったのかを、時間の経過とともにお話ししようと思います。
この日は、共同主催者の耕平さんが営むゲストハウス「写庵こころ日和」に集合していただき、午後からプログラムをはじめました。
1日目のテーマはこちら。
最初は、プログラムの全体像とテーマの紹介、4日間のお約束についてお話ししました。
そのあとは、自己紹介に進むのですが、ここではいつもの肩書きではなく、「そのままの一人の人間として出逢う」ということがテーマ。
最初に行ったのは、非言語で出会うワーク。
ほとんどの人が忘れてしまっている、言葉なしで、ただ目の前の人と出逢ったときの不思議な感覚。
その人はどんな経験をして、この場所に辿り着いたのか。
その人の中にどんなものが流れているのか。
その存在の中に込められた、弱さや、素晴らしさや、平凡さ。
そして、虹色に輝くような個性。人間性。精神性。
そうしたものに目をむける時間からスタートしました。
その後は、言葉をつかって、ものを使って、わたしという存在を共に時間を過ごす人たちと分かち合っていきます。
好きなこと、得意なこと、分かち合いたいこと、一緒にやりたいことをテーブルに出してみたり。
大切なものを通して紡がれる、個人の物語に耳を傾けたり。
主催のわたし自身も含めて、ほとんどの方が「はじめまして」の出逢いだったけれど、「ただ一人の人間」として出逢う4日間のはじまりは、とてもあったかくて素敵な時間でした。
【2日目】すでに「ある」ものに目を向ける
2日目と3日目は、主催者の2人の物語をそれぞれ紐解いていきました。
デンマークにおいても、フォルケホイスコーレの先生になるには資格は必要ありません。それよりも「なぜその授業をやっているかを先生が語れること」が重要とされています。
それは「一人の物語が誰かの人生を変えることがある」と信じ、生徒たちを「インスパイアする」という役割を何より大切にしているから。
だからこそ、フォルケホイスコーレの授業は普遍的ではなく、属人的であることが大事だとされているのです。そして、対話の中で授業を進めていくということも。参加する人によって、授業はどんどん変わっていくのです。
2日目は共同主催者の耕平さんの授業ということで、テーマはこちら。
耕平さんがしてくれたのは、こんなお話。
会社員として写真を撮っていたときの話、
ブランビアホイスコーレで学んだこと、
お遍路での素敵な出会いのこと、
写庵こころ日和と自分のプロジェクトをはじめるまでのこと。
そういう問いを抱えながら、自分が持つ「写真」というギフトであり大切なテーマとどう向き合ってきたのか、というお話を聞きました。
耕平さんの物語を聞いて、自分の人生を問い直してみるワークもいくつか。
わたしには、耕平さんの人生の物語から、こんなメッセージを受け取った気がしました。
みんな受け取ったものはきっとそれぞれ違っていると思うし、またそれぞれの物語になっていくのだと思うのですが。
この数時間を経て、そういうのってすごくフォルケホイスコーレっぽいなって、改めて思ったのでした。
▼耕平さんの物語をもっと知りたい方はこちらから
せっかくアートの直島に来ているということで、午後はベネッセハウスミュージアムで鑑賞の時間も。
この場所で「わたしが気になるもの」を写真に撮ってくるというお題で、それぞれの時間を過ごしました。
夜は、参加者もりやんの提案で、レゴ・シリアスプレイのワークショップを開催!
ご存知の方も多いかもしれませんが、レゴはフォルケホイスコーレと同じくデンマーク生まれで、とても思想が近い部分があるのです。
21時スタートという遅い時間だったにもかかわらず、全員参加で、時間を忘れて盛り上がったのでした。
▼もりやんが書いてくれたnote!嬉しい!
【3日目】自分という存在を表現する
3日目はわたしの授業。この日のテーマはこちらでした。
この日はお天気が良すぎたので、ラジオ体操からスタート!
そして、午前中の時間を使って、わたしがお話させていただいたのは、
アートがちょっと好きになるお話、
2つのフォルケホイスコーレで学んだこと、
スリランカで出会ったアーユルヴェーダの知恵、
シューマッハ・カレッジで出会った教育観のこと。
そして、人生を一つの作品のように生きるということ。
わたしがこの数年間で出逢ってきたことは、バラバラに見えて、実はつながっていて。そういうことがやっと最近わかってきたのです。
誰かを幸せにしたいと思う気持ちも、社会貢献も、世界平和への願いもそれはそれで素敵なことではあるのだけれど。
本当はそれより先にやらないといけないのは、わたしがわたしとしての人生をちゃんと生きること。
そういうことをお伝えしたいなと思ったのです。
わたしは、1つのアート作品に関する解説はほとんどしないけれど、それを描いた人がどんな人生を生きていたかについては少しだけお話ししています。
アーティストってよく作品で語られがちだけれど、本当はその作品の裏側にある人生の方がずっと面白いんですよね。
本人もどこまで意識的なのかわからないけれど、その人の人生のすべてが、作品に表れていたりする。
そして、見る側であっても、その人の人生が反映されていて。
同じ絵を見ているのに、朝日に見えたり夕陽に見えたり。
楽しそうに見えたり、悲しそうに見えたり。
一番最初に目が行くところが全然違ったり。
いつもわたしたちは、わたしたちの人生で経験してきたことをベースに世界を見ている(つまり、みんな見ている世界は全然違うかもしれないということ)、そういうことに気づく機会にもなるのです。
それから、わたしがこの数年いろんな国で学んできたこともお話しました。
みんながどう受け取ってくれたのかはわからないけれど、「すべてはつながっていて、いつかどこかで誰かのきっかけになることがある」、いつもそう思ってお話をするようにしています。
(この辺りはいろんな場所でお話しているので、もし機会があれば、ぜひイベントに参加してもらえたら)
午後は李禹煥美術館へ。鑑賞ツアーに参加したあとは、グループに分かれて対話型鑑賞をしました。
なんてことない石と鉄板とが置かれた場。
でもそんな普遍的なものでさえ、見る人によって、その人の中に生まれてくるものは一つひとつ違うものなのです。
そういう不思議な体験をした後って、「それぞれの存在が実はまったく違うものなのかも?」という問いが生まれてきたりするんですよね。
今日本で生きていると、みんな同じように思えて「わたしなんて…」と思ってしまいがちだけれど、本当は誰もがオリジナルな存在。
それを忘れているだけなのだと思うのです。
そして、忘れているなら、思い出していけばいいだけだ、ともわたしは思っています。
でも、きっとこの日のいちばんのハイライトは、晴れ渡った瀬戸内海。
最初の2日間はびっくりするくらいお天気が悪くて、足元も悪いし、美しい瀬戸内海は霧と雨でほとんど見えなかったのですが、そんなものを吹き飛ばすくらいのいいお天気になったのです。
まさかのそれも含めてプログラムだったかのような。
雨の日って、ちょっと自分の時間が欲しくなるし、おこもり時間が許される感じもする。
けれど、晴れたことで、みんな外に出たくなって、新しいかかわりが生まれてきて。
たった4日間だったのに、みんなの心模様と同調するような時間でした。
そして最後の夜ご飯は、海のそばのスペースでBBQを。お腹いっぱいすぎたけれど、思いっきり食べて、思いっきり笑ってあっという間の時間でした。
夜はシューマッハ・カレッジで経験した詩のワーク。
わたしがいくつかの詩を読み上げて、この3日間を終えて、今自分の中にあるものを詩にする、というワーク。
「詩なんて書いたことないし、書けない・・・・」
という人がほとんどなのですが、このワーク、いつもめちゃくちゃ満足度が高いのです。
ペンと紙があればいつでもできる簡単なワークなのに、一人ひとりの経験が言葉になって、驚くほどに感動が生まれるのです。
わたし自身もとっても大好きなワークのひとつでもあります。
【4日目】今ここからの未来を描く
さて、あっという間に4日目。最終日のテーマはこちら。
これは、わたしがよく開催している表現のワークショップからアレンジしたのですが、このときのテーマはこちら。
「では、ここから創作ワークをやります」と言うと、だいたいみなさん固まるのですが・・・苦笑
クレヨンにパステル、折り紙や和紙、毛糸、モール、フエルトなどいろいろな素材を目の前にすると、最後は「時間が足りない!」となる人がほとんど。
普段手を動かさない人ほど楽しくなって夢中になっているのが常なんです。
その後は、作品を3〜4人くらいに分かれてシェアする時間。
わたしはいつもNVCのツールの一つである「ニーズカード」を使っているのですが、その言葉のやり取りが本当に優しくて、とても癒されるし、満たされる時間なのです。
実はこの時間、本人は作品について話しているはずなのに、ほとんどの場合、出てくるのはその人の物語なのです。
本人が意識して描いていないものが、絵の中に現れていたりする。
言葉にしていないのに、聞き手が感じ取っていたりする。
人間って、本当にそういう力を強く持っているのだなって感じます。
最後は、全員で話になってクロージングサークル(解散式)を。
出来上がった作品の紹介と、4日間の感想を一言ずつ。そして、ここでの経験を日常とつなげるべく、未来への一歩をシェアしていただきました。
それを聞いた人たちは、その人に送りたい言葉を付箋にメモします。
4日間で感じたその人の素敵なところ。
その人の未来で、応援できること。
感謝の気持ち、などなど。
ここでも自然とみんな涙がこぼれていくという・・・
毎回この言葉を口にする人がいるのですが、それはその人の中にいる「本当のわたしともいうべき存在」が、見つけてくれてありがとうって泣いているんだとわたしは思っていて。
誰かが勇気を出して、苦しかったことを話したときに、それに触発されて、いろんな物語が出てくることがあります。
ずっとその人の中にあったのに、出てくる機会がなかった言葉たち。
いつも何かを訴えていたのに、気づいてもらえなかった想いたち。
そういうことを口に出してみて、誰かがそれを受け取ってくれた瞬間に、涙がこぼれるのだと思います。
そして、過去の苦しかったこと、悲しかったことが、自分の人生にとって必要なギフトだったと思えたとき、はじめて人は本当の意味で前に進めるようになるのだと思います。
しんどい中で、無理やり新しいことをやる必要はなくて。
気づいたら自然と足が前に出ていた。
やりたいことが内側から湧いてきた。
そういう一歩こそが、この世界に希望を配っていくんじゃないかなって思っています。
だからこそ、そういうふわっと湧いてきたものを、わたしはすごく大切にしてほしいなと思っています。
【プログラムを終えて】わたしの中にあるもの
実は、4日目の朝、海を眺めていてわたしの中に湧いてきたのが、
という言葉でした。
周りに誰もいなかったからこっそり米津玄師の「地球儀」を流したりして。
地球儀の歌詞の中にこんなフレーズがあるのですが、
あぁ、みんなこの世界に生まれてくるとき、誰もがきっとあたたかいまなざしで送り出されたんだろうなって思えてきて。
そういう、ただあなたは存在しているだけで尊いよっていう言葉が、この世界にもっとあったらいいなと思ったし、わたしもそういう言葉を手渡していける人になれたらいいなぁと改めて思ったのです。
今振り返ってみれば、この4日間は「ただ生きる」ということに立ち帰る時間だったような気がしていて。
みんなに「自分の心地よさを大切にしてね」と何度も伝えていたことで、わたしも自分の心地よさに目を向けられていたのだな、と。
もちろん、1人の人と深くかかわる時間もすごく尊いものだと知っているけれど、偶然の出逢いから生まれる「場」にも、言葉にはできないほどの感動があります。
誰かの行動が、次の誰かのバトンになっている。
誰かの一言が、誰かの癒しにつながることがある。
誰かの物語が、誰かの一歩を後押しすることがある。
わたしはそういう現場を何回も見てきたし、それって本当に尊いし、素晴らしい時間で。
ただ何かに惹かれて、このとき、この場所に集まっただけ。けれど、そう機会にこそ、次の一歩につながる「何か」があるような気がします。
わたしは場があることで開かれてゆく虹色のような個性に出逢うことが本当に喜びだし、そのことを受けて、わたし自身がとても豊かになってゆくことを毎回実感しています。
プログラムを経て1週間も経たないうちに、半分以上の人が新しい一歩をお知らせしてくれて、主催したわたしたちのほうが感動させられたくらい。
まだまだちょっと整理できていないのですが、参加してくださった方の声も、少しずつUPしていこうと思っています。
実は、印象に残っているプログラムは、みんなバラバラで、それは主催者側としてはとても嬉しいこと。
直島の作品たちが許容範囲が広いように、いろんなタイミングの人が、自分にとって必要なものが見つかったなら、これほど嬉しいことはないのです。
ちなみに、みんなにとって一番印象に残っていたシーンは「朝ご飯」で、直島で一番印象的なことは、雨上がりの「瀬戸内海」。笑
でも、そういう普通のことを共有できることが、プログラムの外にあったことが、本当に良い時間だったなぁとも思っています。
ちなみにフォルケホイスコーレについてよく知らない、という方もいると思うので、最後にこちらを。
という質問に対してはこんな答えが返ってきました。
・命の輝きを感じる場
・人と自分に出会う場所
・自分のできなさを受け入れる
・自分の道の確認
・自己探求
・非日常の中で私を思い出す感動体験
わかるような、わからないような。笑
けれど、きっとそれぞれの旅路で必要なものが、その人に還っていったのだと思います。
フォルケホイスコーレの学びは、その体験自体が、その人固有のものだから、です。
ちなみに次回開催は来年の秋かなぁと思っているのですが、瀬戸内芸術祭もあるので、ちょっと様子を見つつ、ゆるく企画していこうと思っています。
もしご興味がある方は、こちらのnoteをフォローしていただくか、Webページに資料請求フォームをつくっているので、よければご登録ください。
未来のどこかであなたと出逢えることを楽しみにしています。
▼瀬戸内フォルケホイスコーレのページはこちら
▼この後いくつかイベントでお話しする予定です
▼ワークショップに参加してみたい方はこちらから(鎌倉開催)
▼ラジオでも今回のお話をしています