めんどくさがり屋は、『5秒で終わる』を口癖に。
私は大のめんどくさがり屋だ。
ボーッとしている時間が好きだし、
出来ることなら動きたくない。
他人が関わってくることなら動くけど、
自分のこととなると極力手を抜きたい。
ご飯だって、一人なら
食べることすら億劫がってしまう程。
(そんな時のために、手間のかからない冷凍食品やカップ麺は念のため常備)
そんな私だから、
手間のかかりそうなことは後回しにしがち。
自分でも面倒な性格だと思うけど、
めんどくさがり屋なのに
やると決まれば丁寧にキッチリやらないと
気が済まないところがあり、
『手間がかかりそうだな、、』
↓
『いまとりかかったら時間かけてしまって他のことが手におえなくなるな、、』
↓
『よし!時間ができたときにとりかかろう!』
といった流れで、どんどん
《時間ができたときにキッチリやろう!》
リストが溜まっていくわけだ。
そんでもって、
極力休めるときは休みたい
めんどくさがり屋の私だから
《時間ができたとき》というのは
完全にスイッチOFFなわけで。
《時間ができたときにキッチリやろう!》
リストが実行されることは数年後になることも
ザラにあるという始末。
悲惨だ。
プライベートならまだしも、
スピードと結果が求められる仕事となると
そりゃもうぐちゃぐちゃだった。
やらなきゃ!でも今じゃない!
あ、そういえばあれもできてなかった!
こんなことばっかり。
新卒一年目のとき、
こんな具合でてんやわんやする私に
どんどんチェックをいれてくる上司。
漏れがないように、
大事なとこは抑えられているように、
『いま、あれはどうなってる?』
と何度も何度も。
上司が忙しいなか何度も
部下のチェックを入れてくれることは
有り難いことなのだけど、
あのときの私には
『なんで今やねん!今忙しいねん!』
と鬱陶しかった。
けど、あるとき言われた
『いま5秒で終わることをなんで後回しにするんだ!』
という言葉にハッとした。
(実際5秒で終わるような作業ではなかったけど、言葉の綾みたいなもん)
確かに、そうだ。
今パッとやれば《後でやらなきゃ》リストは
追加されないし、忘れたり抜け漏れして叱られることもなくなる。
『手間がかかりそう』と思い込んでいるけど、
すぐやれば案外パッと終わることだってある。
《後できっちりやる》という思考から、
《いかに、今パッと終わらせるか》の思考に
転換すべきだと気がついた。
そもそも、なぜ《手間がかかりそう》と
感じてしまうのか?
慣れないことだから時間がかかりそう。
よくわからないことだから、混乱しそう。
苦手なことだから気がのらない。
この考え方が良くないのだ。
いまやっている作業に
《プラスα》作業が追加されるという
認識になってしまいそうな感覚。
人間、慣れないことをしようとすると
脳がストレスを感じてしまうらしい。
つまり、
いまとりかかっていることがあるのに
次から次へと手間がかかりそうなことが
追加されていくと、
普段《自分のこととなると極力手を抜きたい》のに《自分がしなくちゃいけないことが増えていく》から脳がストレス反応を起こすということだ。
もうルーティーン(習慣)にしてしまえば
ストレスなくサクッと手にかかれるんじゃないか!
と、《手間がかかる》と感じない仕組みを
つくることにした。
例えば、出不精の私が
子供の散歩を毎日続けようと思い立った頃は
『オムツを買うために近くのスーパーまで散歩しよう』
『今日は美味しいあのパンを食べたいから、あのパン屋さんまで散歩しよう』
と、目的ありきの散歩にしていた。
《●時になったら買い出し&散歩の時間》と
習慣化してしまったのだ。
《目的のついでに》せっかくなら散歩しよう
という流れをつくりあげていたため、
家を出るのが億劫と感じることはなかった。
《ついで》だから手間にも感じにくい。
習慣化してしまったら、こっちのもん!
買い出しするものがなくても、
《この時間になったから、
とりあえず外に出よう!》
という感覚になっていた。
あの、出不精の私が!
めんどくさがり屋の私には、
いかにルーティーン化させるかが重要だな!
と実感した。
面倒な後片付けも、家事も、
『これが終わったらこれをする』
『何時になったらこれをする』
とルーティーンをつくることで
スススッと動ける。
何か新しいことを始めるときみたいな
重い腰をあげるような感覚にはならない。
もし一瞬でも『手間がかかりそう』と
感じそうになったら、
『5秒で終わる!』とすぐ思考転換する。
『手間がかかりそう』と感じさせない。
この習慣でだいぶ日常のストレスが
緩和されたと思う。
めんどくさがり屋だからこそ!
ルーティーン大事!
思考転換大事!