超一流音楽家がコーヒー屋さんの面接に15回落ちた話
皆さんご機嫌よう。超一流音楽家です。
幼少の頃より周りから神童と呼ばれてきた私。
本職のベースも割と楽器を持ったそばから弾けていた。
17歳の頃からプロ活動を始め
今では42歳にして音楽活動も25周年を迎える。
今回はそんな超一流音楽家の私なのに
15社ものコーヒー屋さんのアルバイト面接に
落ちたと言う話を書いて行こうと思う。
どうだろう?既にもう面白いだろう?
前回がしっかりとした有料記事だったので
今回は出来るだけ肩の力を抜いて行くぜ。
なぜコーヒー屋さんで働きたかったのか?
そもそも前提として
一つ認めなければならないことが事がある。
というか懺悔しなければならない。
それは私がコーヒー屋さんを始めたい、と言うことだ。
待ってくれ。わかっている。
そんな生易しい道ではないのは当然だし
何より本業をこれ以上おろそかにできない。
マネージャーの目も怖い。
だが夢見るくらいはいいじゃないか。
「もしも」の為に食品衛生管理者の資格も取ったし
防災管理者の資格も折を見て取ろうと思っている。
なんならついでにコーヒーソムリエの資格も取った。
だがこれはあくまでも「もしも」の為だ。
世の中何が起きるかわからない。ただの備えだ。
その「もしも」の一環として
コーヒー屋さんを経営するならば
そこで働くアルバイトの皆さんの気持ちも
理解しなければならない。
それは経営者として当然の責務だ。
しかしそれ以前に冒頭でも書いた通り
17歳からこの業界で仕事をしてきた、と言うことは
今まで音楽以外の仕事をした事がない、と言う事だ。
つまりアルバイトもした事がないのだ。
これじゃあいけない。
これじゃあコーヒー屋さんなんて開けるわけがない!
夢のコーヒー屋開業の第一歩として
私はコーヒー屋さんでのアルバイト募集を探し始めた。
ひと段落にコーヒー屋と言う単語がこれを含めて
4つ出てくるぐらい私の心はコーヒー屋開業に
支配されかけている。あ、5個目だ。
完成した恐怖の履歴書
さて、そうと決まればまずは履歴書だ。
「履歴書の書き方」なんてものを
この年になって検索する事になるとは思わなかった。
書こうと思えばどこまでも豪華に書けた。
賞与としても世界大会優勝なんて肩書は
誰しもが持っているようなものではないだろう。
しかし、私は生粋の天邪鬼。
音楽のことなんぞで私を評価して欲しくなかった。
私はコーヒー屋に憧れるただの中年男性なのだ。
等身大の私を見てほしい!
そんな気持ちで書き上げた履歴書がこちらだ。
お分かりいただけただろうか?
音楽家としての経歴や賞与はおろか
音大への入学すらも省いた結果
このモンスター履歴書が完成した。
高校を卒業して20数年
一度も働いた事のない41歳(当時)
許されざる犯罪に手を染め服役し
つい先日出所して娑婆に出てきたばかり。
刑務所の中で飲む不味くて冷めたコーヒーは
妻が入れてくれたコーヒーを恋しくさせた。
心を入れ替えたところで妻も子供も今はいない。
どれだけ後悔しても過去は戻らない。
ただもう一度だけでいい。
温かく少し苦いあのコーヒーを飲みたい。
そんな時、目の前に偶然現れた喫茶店。
吸い寄せられ様に店に入り
気づいた時にはホットコーヒーを注文していた。
真っ白く陽炎のやうな湯気を立ち上がらせる
ホットコーヒーを一口飲んだその瞬間。
涙がとめどなく溢れ出した。
あの味だ。妻のコーヒーと同じ味だ!
次の瞬間、嗚咽に塗れながら私は店主に叫んでいた。
「ここで、、、ここで働かせて下さい!!」
そんなストーリーさえ浮かんだ。
私が今まで足を運んだお気に入りのコーヒー屋さん
14社にこの哀しき履歴書を送ったが
終ぞその返事が返ってくることはなかった。
やはり私には届かぬ夢だったのか。妻と子供の顔が脳裏をよぎる。この履歴書を最後にコーヒー屋で働く夢は諦めよう。
そう覚悟を決めて送った15枚目の履歴書。
その最後の履歴書に返事をくださったのが
NOG COFFEE ROASTERSの野口さんだった。
41歳(当時)にして初めての面接
いつも通っていたNOG COFFEE ROASTERSさん。
なぜだかこの日は入口の扉が重く感じた。
明るい店内もいつもと違って薄暗く見える。
これが、、、緊張か、、、
自慢ではないが、長い芸歴の中で
ステージで緊張した事は一度たりともない。
そんな私が緊張する事になるとは。
面接とは斯くも恐ろしいものなのか。
金髪の精悍な顔つきの青年が出迎えて下さった。
オーナーの野口さんだ。
野口さんは開口一番こう仰った。
「失礼とは思いましたが色々と調べさせて頂きました。
音楽の凄い方じゃないですか!びっくりしましたよ!」
帰ろう。ここは私の居場所ではなかった。
そんな風にさえ思っている私に野口さんはこう続けた。
「何か音楽面でウチとコラボしてもらったり
店内BGMのプレイリストをプロデュースして頂いたり
色々出来そうだなぁと思って」
違う。違うんだ野口さん。
私は皿洗いから始めたいんだ。
床掃除だってしたい。トイレ掃除だって喜んでやる。
いつもコーヒーを淹れてくれるあの綺麗なお姉さんに
「全く!使えないおっさんだね!役立たず!」
などと言われながら顎でコキ使われたいんだ!
そして数年、ここで店員として修行を積んだ私。
今では美味しいドリップコーヒーを淹れ
美しいラテアートまで描けるようになった。
己の腕に自信を持てるまで成長した私は
ついに自分の店を開ける事になった。
最初は不安で胸が押しつぶされそうになったが
開店以来、今も絶え間なくお客様が訪れて下さり
コーヒー雑誌の取材まで受けるようになった。
そのインタビューの中で
あなたにとって恩人は?と言う質問に私はこう答えた。
「それはもちろんNOG COFFEEの野口さんです。」
とか言いたいんだよおおおおおおお!!!!!!
結果的にはこのご縁をきっかけに
野口さんとNOG COFFEEさんとは
今もいい関係を続けさせて頂き
なんだかんだいって音楽のお仕事もさせて頂いている。
昨年末にNOG COFFEEさんが出された
シーズナルオリジナルブレンドの
「MERRY CHRISTMAS」と言うコーヒーのPVとして
音楽と映像を制作させて頂いた。
どう?素敵なPVでしょう?
この記事をご覧になっているコーヒー屋さんで
音楽映像コラボしたい方はいつでもご連絡くださいね。
活動のきっかけとなったアルバイト探し
根っからの捻くれ者が災いして
15社も落ちる羽目になったアルバイト事変だが
正直な履歴書を書いていれば
もしかするとどこかのお店でコーヒーを淹れている
世界線の私もいたのかもしれない。
だが今こうやって音楽とコーヒーの融合を目指し
様々な活動を行い、noteを書いているのも
アルバイトに受からなかったおかげかもしれない。
冗談半分、本気半分だが
せっかく人生の半分以上を音楽に従事して
ここまで生きてきたのだから
やはり音楽は使うべきだよな、と
今は素直に思えている。
しかし私のコーヒー屋さんで働く夢
ひいてはコーヒー屋さんを開業すると言う夢は
消え去ったわけではない。
いつの日か必ず、、、あ、マネージャー来たので
この辺にしておきます。
それではまた!
NOGのカウンター内でバリスタ気分を満喫して
上機嫌で演奏する私