どうせやるなら #我慢に代わる私の選択肢
「どうせやるなら、気持ちよくやりなよ」
私が結婚した時に、アドバイスとして祖母からもらった印象的な言葉である。自分の中で反芻し、今では結婚生活だけでなく、仕事や私生活全般において、私の行動の指針となっている。
祖母は結婚してから60年以上、祖父を支え続けた。家父長的な考えが強い家だったため、祖母は自分のやりたいことを我慢して、家のために尽くしてきた。祖父が亡くなる前まで介護をしていた。
そんな祖母が、ある時、結婚生活はうまくいっているかと私に聞いてきた。
もちろん、うまくいっている。男が外で働いて女が家を守る祖父母の時代とは異なり、私たちは共働きで、家事労働も分担している。
一緒に生活をしていれば、ぶつかることもあるだろう。祖母は、夫婦で意見が違ったときは自分が折れた方が丸く収まるし、納得がいかないことであっても、対立するよりは相手を立てる方がうまくいくと言う。
祖母は、曾祖母から、「どうせやるなら、気持ちよくやりなよ」と言われたことがあるらしい。納得ができないことでも、嫌なことでも、男たちの言う通り生きてきた時代の人からの言葉だ。恋愛結婚もできない。好きではない人と結婚したことだろう。我慢することもたくさんあっただろう。そんな中でも、どうせやらないといけないなら、すーっと受け入れて、相手が気持ちのいいようにやってあげなさい。結局やらないといけないことなら、文句を言ったり対立したりしてもお互いに後味が悪くなるだけでしょ、と。
心が震えた。
祖母や曾祖母の苦労を知っているせいもあるかもしれないが、説得力のある、何とも腑に落ちる言葉だった。
それからは、結婚生活においても、仕事においても、「どうせやるなら、気持ちよくやろう」と意識して行動している。
家事をするのも、嫌な仕事をするのも、どうせ自分がしないといけないことだから、相手がどうとか考えないで、気持ちよくやってあげよう。
単に、我慢してやろう、我慢してやらないといけない、と考えるよりもずっと素晴らしい選択肢ではないだろうか。