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「書く」バランスが変化を見せてきた

平日の毎日、Noteに投稿し始めて1週間が経った。これまでも「書く」こと自体はメンタルケアのためにも続けていたが、その中で「発信する割合」が増えた。少し整理すると以下のようなイメージ。

※これまで
①日々のメモ:リングノートなどに、一日の終わりなどに書き殴る。内容は、モヤモヤしたことだったりその日嬉しかったこと、自分の中で考えてみたことなど様々。
②Noteへの投稿:頻度は1ヶ月~半年に1本。あるテーマについて自分なりに考えたものを、他人様が読めるように推敲して整えたもの。

※先週から
①-1 日々のメモ
①-2 日々のメモ(Note):従来の①をNoteにも一部昇華するようになった
② Noteへの投稿

このような変化を通して、自分の中で「書く」バランスについて改めて考えるようになった。

まず、従来に比べて変わったこと。より「考える」時間が増えた。これまでの書き方だと、メモ程度に書き記す場面が圧倒的に多かったため、アウトプットの時間にはなっても、その言葉たちがまとまりを見せて美しい文章表現になることは少なかった。それが「Note」という他人様の目に触れる媒体に舞台を移したことで、もう一歩踏み込んで思考するようになった感触がある。地面を深く掘っていくと、地表とは違う色や形の土が見られるように、いままでは表面的で薄い思考にとどまっていたアイデアが、また違った顔を見せるようになってきた。ある日ふと勢いで初めて見た毎日投稿だったが、どこかで現状の「書んがえ方」に物足りなさを感じていたのかも知れない。

一方で、変えたくないこと。できるだけ攻撃的な内容はNoteで書きたくない。よくSNSや動画サイトのいわゆる「アンチ」が話題になり、彼ら彼女らの言動が非難されているが、僕は発信する投稿主にも同等の責任が存在すると考えている。いまや、端末を開けば、意図せずとも受動的に不特定多数の意見や主張が目に入ってくる。誰かのテリトリーに侵入して発信している、という点では、投稿主もアンチも同じリテラシーを持つべきだ。

自分の意見やアイデアを「書く」ことを通して深め、発信するのは大いに尊い行為だ。ただ、それが特定の人を非難する内容であってはならない。本音を言うと、僕自身そのようなトゲトゲでドロドロしたことも考えることはしょっちゅうだ。そんな言葉たちは、ブラックジャックが外套の内ポケットに隠しているメスのように、ひっそりとリングノートに収めていれば良い。

この先も「書く」行為と付き合っていく中で、そのバランスが日々変化を見せるのはとても興味深い。この習慣が続いたときに、一体自分がどんな衝動に駆られるようになるのか。じっくり見守りたい。


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