西野亮廣作品の考察⑧/「マルコ」の名前の由来~貧困に苦しむ人々を救った幕末の宣教師~
みなさんこんにちは!
先日5月30日に西野さんの絵本最新作『みにくいマルコ~えんとつ町に咲いた花~』がついに発売になりました!
#わーい
なので今回は、マルコの名前の由来をテーマに書いていきたいと思います。
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1.マルコとは
これを読んでいる方はみなさん知ってるだろうと思いつつも、まだ絵本が発売したばかりなので、一応ざっくり説明します。
絵本『みにくいマルコ~えんとつ町に咲いた花~』は、映画『えんとつ町のプペル』から3年後の物語になっています。
「マルコ」はこの絵本の主人公で、モンスターです。
えんとつ町は煙を止めて新しい時代を歩み始めていたのですが、そのせいで煙の燃料を産み出していた鉱山は閉鎖し、炭鉱夫をしていたマルコは職を失ってしまいます。
みにくいモンスターを雇ってくれるところなどなく、マルコは「天才万博」というモンスターハウス(見世物小屋)で働き始めます。
『天才万博』は世の中からハジかれたモンスターたちが輝ける唯一の場所です。
…
…まぁ、この辺知ってりゃ、これ読む上でとりあえず支障ありません!
あとは絵本を読んでください!!
#雑
→『みにくいマルコ~えんとつ町に咲いた花~』/にしのあきひろ - Amazon
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2.マルコの名前の由来
さぁ、ここからが本題です!
私がマルコの名前はこの人から取ったんじゃないかなと思ってる人物が一人いて、それが幕末の長崎に宣教師として来た「マルコ・マリー・ド・ロ」です。
なぜ私がそう思っているのか、一体どの辺りがえんとつ町と繋がっているのか、そんなところを今から書いていきます。
(何度も書くようですが、あくまで私がそうじゃないかなと思ってるだけで、絶対にこうだよってことでは無いので、間違ってたらごめんなさい!許して!)
- マルコ・マリー・ド・ロ▼
マルコ・マリー・ド・ロ(Marc Marie de Rotz, 1840年3月26日 - 1914年11月7日)は、パリ外国宣教会所属のフランス人宣教師である。1868年(慶応4年)6月に来日し、長崎県の外海地区において、キリスト教の布教活動の傍ら、貧困に苦しむ人達のため、社会福祉活動に尽力した。
(※文献によって名前の日本語表記が“マルコ”の場合と“マルク”の場合があるのですが、今回は“マルコ”で統一します。)
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※以下、ややこしいのでマルコ・マリー・ド・ロを「ド・ロ神父」、『みにくいマルコ』のマルコを「マルコ」と表記します。
何をした人かばーっと挙げていくと、
(※ここはサラッと流し読んで大丈夫!)
・1868年(慶応4年)6月に司祭のベルナール・プティジャンが帰国中に印刷技術を持った宣教師を募集したのに応じて来日し、長崎でキリスト教の布教に従事した。
・1871年(明治4年)に横浜に転勤になり、1873年まで横須賀造船所の小聖堂司牧を兼務し、石版印刷所を設けた。
・1873年、浦上の信徒らが浦上四番崩れによる流刑から釈放されたのを機会に長崎に戻り、印刷物の発行を行った。
・1874年7月、長崎の伊王島で赤痢が発生し浦上地区まで広がり、流罪によって衰弱していた浦上のキリスト教信徒に蔓延したのを受け、ド・ロ神父は毎日患者の家まで薬箱を下げて通い、予防方法等について説いて巡回した。
・1878年、出津教会主任司祭として赴任し、カトリックに復帰した信者や隠れキリシタンが多く住んでいた外海(そとめ)地区の司牧の任にあたった。
・外海地区の人々の生活が貧しく孤児や捨子も多く、特に海難事故で一家の働き手である夫や息子を失った家族が悲惨な生活を送っていることを知り、1880年に孤児院を開設し、1883年には救助院を設立して授産活動を開始した。
・地域住民を窮状から救いたいという強い想いから、農業指導、漁業指導、医療事業、教育事業など様々な活動をし、地域の経済的発展に貢献した。
・農業用地を買い取り、フランスから持ち込んだ農耕用具で自ら開墾を行い、私財を投じて井戸を掘ったり、港を整備したりと、外海を支えた。
・当時、日本では珍しかったドリルや滑車などを持ち込み、20世紀初頭の西洋と長崎の文化的掛け橋となった。
・出津教会堂や大野教会堂など、複数の施設や遺跡の設計・指導をし、それらを含んだ「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、世界文化遺産に登録されている。
(by Wikpedia先生)
まぁ、こんな感じです。
重要なのはこっからなので、ここまではほんとさらっと頭の片隅に置いといてね。
#前置きが長い
- 西野亮廣作品と繋がる部分▼
・ド・ロ神父は幕末に宣教師として長崎に来て、様々な活動を行った
→これまず長崎というのがポイントで、前回の記事(考察⑦)で書いた軍艦島(端島炭鉱)があったのも長崎です。軍艦島はえんとつ町のモデルの一つとなっている場所です。
さらにド・ロ神父が幕末~明治にかけて日本で活躍したというのも、えんとつ町と時代が共通しています。
ちなみにマルコは元々「トーマス」という名前の予定だったのですが、絵本の制作途中で「マルコ」に変更されています。
この「トーマス」という名前は、幕末の商人「トーマス・ブレーク・グラバー」から取ったものと私は考えています。
前回の記事(考察⑦)でもチラッと出てきた、軍艦島のすぐ隣にある高島炭鉱を開き、運営した人です。
他にも長崎に西洋式のドックを建設し、造船の街としての礎を築き、日本の近代化に大きく貢献しました。
グラバーも幕末~明治にかけて長崎で活躍したという点がド・ロ神父と共通しており、2人は生きた年代がほぼ一緒です。生まれた年も亡くなった年も2~3年の誤差。
また自宅である旧グラバー邸は、軍艦島や八幡製鉄所などと共に、「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界文化遺産に登録されています。
(※トーマス・ブレーク・グラバーの話は、たぶんまたどっかのタイミングで詳しく書きます)
・ド・ロ神父は1871年~1873年に横須賀造船所の小聖堂司牧をしていた
→考察①にも書いてるのですが、横須賀造船所(横須賀製鉄所)は映画『えんとつ町のプペル』でルビッチたちが船を直していた(?)場所のモデルだと思われます。
(▷横須賀造船所の2号ドック)
この横須賀造船所は徳川幕府が開いた造船所で、江戸開城後は明治政府が引き継ぎ、のちに海軍省の管轄となっています。
映画『えんとつ町のプペル』の副音声第2弾かなんかで西野さんがチラッと言ってたようなことから推測するに、恐らくダンさんは、煙が晴れた後のえんとつ町の、造船所(海軍)のトップです。
#そんな感じのこと言ってなかった?
#記憶力に自信がない
(※ダンさんは、マルコが恋するヒロイン「ララ」のお父さんです。)
ダンさんは、幕末で言うと勝海舟なんじゃないかなと現段階では思っていて、そうすると造船所(海軍)のトップというのと辻褄が合います。
(これもまたどこかで詳しく書きます。)
#ちなみにブルーノは坂本龍馬だよ
横須賀造船所は1903年に横須賀海軍工廠となり、呉海軍工廠と共に多くの軍艦を製造していました。
ド・ロ神父が長崎で活躍しただけでなく、横須賀造船所に関わりがあったというのも、えんとつ町との共通点が多いなと感じています。
・徳川の時代、キリスト教の弾圧がさらに強まり、信者たちは激しい迫害を受けていた
→1587年に豊臣秀吉が「バテレン追放令」を発令。その後徳川の時代になり、1612年に幕府は直轄地に対して禁教令を布告。1614年にはそれを全国に広げ、キリスト教の弾圧はさらに強まり、激しい迫害が行われていました。
長崎の信者(隠れキリシタン)たちは仏教や神道を信仰しているように見せかけて、外海(そとめ)地区、五島列島、平戸島などに潜伏し、迫害や貧困を乗り越えながら、250年もの間、命懸けで信仰を受け継ぎました。
ド・ロ神父は、そんな迫害を受け、貧困で苦しんでいた人々を助けるために、身を挺して様々な活動を行いました。
この“250年もの間隠れて生きていた”という部分はえんとつ町の歴史と共通しているなと思っているのですが…、
ただ、えんとつ町自体が外海や五島列島のような隠れキリシタン状態なのか、それともえんとつ町自体はあくまで鎖国していた当時の日本を表していて、えんとつ町の中に外海のような状態があるのか、どっちなのかは現段階では私もよくわかりません。
#わかんないんかい
(※どっちもって可能性もなくもないよね)
・ド・ロ神父は住民を伝染病(感染症)から救済するため「ド・ロ診療所」を開設し、社会福祉事業にその身を捧げた
→絵本『チックタック~約束の時計台~』以外に伝染病(感染症)のことをハッキリと書いてる作品は今のところ無く、映画『えんとつ町のプペル』や絵本『みにくいマルコ』の作中に伝染病のわかりやすい表現は見られません。
ですが、えんとつ町は伝染病が蔓延してると私は考えています。
まずルビッチの母のローラはぜんそくではなく伝染病だと、西野さんが副音声かライブ配信かなんかで言ってたような気がします。たしか。
#記憶力に自信がない
それから、ルビッチの家の縁側に蚊遣り豚(豚の蚊取り線香)があったのを覚えてる方いますかね…?
(※ブルーノがルビッチにブレスレットをあげるシーンのとこ)
えんとつ町は湿気が多いという設定があり(アートブックかどっかに書いてます)、水はけが悪い上に、更にゴミなどの処理がきちんとしておらず、町が汚いことから、蚊が多く生息していると考えられます。
蚊は伝染病を媒介するので、えんとつ町では伝染病が蔓延している可能性が高いです。
更に、えんとつ町にはコウモリも生息していますが、コウモリも伝染病を媒介します。
また、絵本『みにくいマルコ』には『天才万博』という見世物小屋で働くたくさんのモンスターたちが出てきます。マルコもその一人。
この“モンスター”というのは、迫害を受けていたハンセン病などの患者を比喩的に表現しているのではないかと現段階では考えています。
西野さんの作品は実際の歴史をファンタジーに落とし込んで描いている感じなので。
ハンセン病の患者は、治療法もなく社会から隔離され、忌み嫌われて生きねばなりませんでした。
さらに、治療法が確立されて完治した後も国からの強制隔離は続き、ずっと迫害を受け続けていたという歴史があります。
(これもたぶんどこかで詳しく書きます)
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【補足】
※これは作品と関係あるかはわからないけれど、一応、豆知識程度に。
・ド・ロ神父が設計・建築に携わった数々の教会堂は、日本の伝統文化を重んじた建築様式だった
ド・ロ神父が設計した数々の建築物は、日本の伝統文化を重んじた建築様式が特徴となっています。
(※多くが世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産となっています)
ゴシック様式を受け継ぎながらも、扉を引き戸にして大工の技術を生かしたり、木造建築ならではの柱と梁の配置にしたり、屋根は瓦葺きにしたり。
考察⑤で書いた、日本の伝統文化を重んじて建築するブルーノ・タウトと似ているなと思ったので、おまけ的に一応書いときます。
(▷大野教会堂 - 長崎県)
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- 終わりに
神父の「マルコ・マリー・ド・ロ」は、えんとつ町の「マルコ」というキャラクターそのものとは、直接的に共通してる部分が多くあるわけではありません。
(※現在公開されている情報の時点ではという話で、続編ではどうなるかわかりませんが。)
しかし、「えんとつ町」という括りで考えれば、かなり共通していることが多いように感じます。
また、貧困や感染症などで苦しむ人々を救うために、身を挺して社会福祉活動に尽力するド・ロ神父の人間性や思想は、西野さんの人間性や思想、理念にも共通するものがあります。
西野さんは「貧困と戦争を終わらせる」とよく言っているのですが、時代によりその手段は変わっても、結局やろうとしてることは本質的には同じだなと。
なのでこういった人物から名前を取るというのは、可能性としてはかなり有り得るのではないかなと思っています。
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《主に参考にしたサイト・文献》
・旧出津救助院 - HP
・外海観光サイト そとめぐり
・書籍『人類と感染症の歴史-未知なる恐怖を超えて-』/加藤茂孝
・書籍『続・人類と感染症の歴史-新たな恐怖に備える-』/加藤茂孝
・書籍『地域の発展につくした日本の近代化遺産図鑑 5 九州・沖縄・アジア』/西戸山学
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