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むにみずべ 東京編07.1 深大寺の水車

東京の山側に潜む、むにみずべ。自分で水車製粉が無料でできるこちら、知っていますか?


VIVANTとアフロが歩く参道

VIVANTの乃木憂助(堺雅人)、天パアフロの久能整(菅田将暉)、彼らが共に歩いていた場所はどこか…
(日曜劇場VIVANT、月9ミステリという勿れをご覧になっていない方、すみません。面白いので即観てくださいね。)

それはもちろんモンゴルでもなく、大隣署でもありません。深大寺です。

東京調布の古刹、深大寺に続く参道は、都内でも浅草や柴又に並ぶ、古い町並みが有名で、ロケ地としても人気のようです。
今回、なぜ調布に赴いたかといえば、もちろんロケ地めぐりをしに来たわけではなく、そこにはキラリと光るむにみずべがあるからです。


あくなき玉川上水のむにみずべ探し

玉川上水

先日江戸の成り立ちをせっせとまとめた際に、江戸城築城、交易路の確保、そして飲み水の確保が主たる目的となって、東京の水辺が形成されたと整理しましたが、その時からずっっっと探していたむにみずべがあります。

それが玉川上水を感じられるむにみずべ。江戸城の濠は、都心にある貴重な自然ということもあり様々な利用がなされ、交易路となる川や運河は今でも船が行き交います。
しかし上水は、気持ちの良い遊歩道はあれど、残念ながら現代でもできる唯一無二の水辺体験がなかなか見つからないのが悩みでした。

実は明治維新の混乱期にちゃっかり玉川上水通船が行われ羽村から新宿まで船が出ていましたが、船上トイレの技術も乏しい当時は、通船すると糞尿やら何やらが流れ、上水がいつのまにか下水になるという悲劇も起きたためすぐに廃止されました。
(これにあやかって、多摩から新宿までカヤックで行くツアーなどあれば最高なんですが‼︎‼︎)

水道としてはは今だに日々恩恵に預かるものの、江戸の一大事業を肌で感じるむにみずべに出会えずにいました。

そんな中、武蔵野台地に多数設置された水車の存在を知りました。


不毛の大地で盛えた水車

深大寺にも近い三鷹にある水車

武蔵野台地は河川がなく水にアクセスできないことで長く住めない場所でした。

そんな場所に一筋の水路が通されます。それが玉川上水です。わずか8ヶ月で42km以上の水路が完成しました。しかし当初は江戸の飲み水のための水路として、基本的に農業用水として沿線での使用は認められませんでした。

転機は享保の改革。天下人のタヌキさんが産んだ莫大な富は枯渇し、幕府財政が立ち行かなくなった八代目の時代。吉宗がふと目を向ければ、江戸の西側には広大な武蔵野台地がありました。
あそこ田んぼにし〜ちゃお。
でも水がな、、あ、あった。
ということで、玉川上水を拡幅し水量を増やし、分水を作ることを許可、一斉に新田開発が進んでいきます。

しかしなぜ川が流れていなかったかといえば、台地であることに加え、水がじゃんじゃん染み込んでいく火山灰の透水性の高い土地でから。
せっかく作った田んぼも、水を湛えた水田は作ることができません。そこで陸稲を作る傍ら、麦も広く栽培されるようになります。

こうして江戸のすぐ近くで、麦を作っていた武蔵野の農民。江戸市中でうどんが流行ると、小麦が高値で売れるようになり、製粉の需要も高まります。中には問屋を通さずに自分たちの水車で製粉したものを市中に売りに行く者さえ出始めました。
現代で言えば、原油の輸出ではなく石油精製業を始めたり、丸太輸出を禁止し製材を輸出したりするのと同じように、原料より高付加価値を付けるべく使用されたのが水車でした。


調布市深大寺水車館

水車につながる水路

明治に入り全盛期を迎えたのち、動力は徐々に蒸気機関や電力に取って替られ、水車はその多くが撤去されていきます。調布深大寺でも昭和20年ごろに最後の一台がなくなりましたが、1992年、市の事業として再び据え付けられたのが、この水車館です。

ただ回ってるのを見るだけでは唯一無二の水辺体験とは言えません。ここではなんと、持ち込んだ蕎麦などを無料で自分で製粉体験ができてしまう東京とは思えないむにみずべなのです。

※ちなみにこの水車、老朽化のため製粉体験を休止していますが、202312月に新しい水車が無事完成しました。バブル期に復活した水車は全国にも多いのですが、その後のメンテが行き届かない例も多い中で素晴らしいですね。製粉体験が再開されるのを首をひょろ長くして待っています。

さてここに流れる水は、実は二つの流れがあります。一つは遠く玉川上水の分水、梶田分水を経て、深大寺用水として流れてきた水
そしてもう一つが、深大寺のあたりに溢れ出る、湧水です。


湧水で育つ圧倒的に美味いそば

江戸名所図会3巻 深大寺蕎麦
斎藤長秋編 長谷川雪丹画

湧水の溢れ出る深大寺の周辺、ここは東京西部の武蔵野台地南端、国分寺崖線と呼ばれる崖で、巨大河川多摩川が削り上げた河岸段丘です。
段丘は地層がバックリと削り取られるため、帯水層が露出し、湧水が多く見られる場所となります。深大寺では逆川と呼ばれる湧水から始まる小川がちょろちょろと流れ、水車を回し、参道を抜け、多摩川に合流します。

この湧水は年中冷たい地下水で、周囲の土地も痩せていました。そうした米も麦も育たない場所に撒かれるもの、それは蕎麦です。寒さにも痩せた地にも対応できる優れもの。
江戸時代には深大寺蕎麦が有名になり、参拝客やお隣の三鷹で盛んだった鷹狩に合わせ多くの客が来るようになりました。今でも多くの蕎麦屋が軒を連ねています

今回は中でも一際ただならぬオーラを放っていた元祖嶋田屋さんに行きました。「文久年間創業」との文字が光ります。文久というと1981年頃と正に幕末。

2023年美味しかったものランキング1位

見た目は素人目にみればただの蕎麦、しかしその味は尋常ではない美味しさでした。あと1週間ありますが、2023年食べた中で圧倒的に美味しかったものNo.1です。

ツルツルシコシコとした麺と共に、特に感動したのはゆず七味。感動のあまり写真はありません。
何やら自称蕎麦にうるさい連れから、七味はつゆに入れず蕎麦にかけて食べるべしといわれ、そんな変わるんかいと思いながらふと机に置かれたゆず七味をかけ、ちょいとつゆをつけて食べたところ、
今まで香っている気になっていたが、これこそ蕎麦とゆずの香りなんだと、気付かされ、次の瞬間には綺麗なざるが目の前にありました。

この七味は嶋田屋さんの自慢らしく、ぜひ味って頂きたいです。


いろいろ遠回りしましたが、
以上玉川上水と湧水に育まれる深大寺で蕎麦を挽ける、水車体験のむにみずべでした。

製粉体験が復活しましたら、更新しようと思います。

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