*読書感想 #2 「ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集」
この本を読もうと思ったきっかけは翻訳家の斎藤真理子さんツイートだ
詩が「ポエム」と呼ばれてバカにされてる現象は面白いといえば面白い。たいていは欧米語にすると重んじられるので
— 斎藤真理子 (@marikarikari) March 15, 2020
詩と「ポエム」は違うんでしょう。それはわかる。とにかく、舐められたもんだな。詩が。まあ、詩を読んだことのある人は宰相の演説がひどいときに「ポエム」とは言わんでしょう。
一連の「ポエム」に関するツイートの最後におすすめされていたのが、この本だった
おじさんの「ぼく」と小学校の帰りとかにふらっとやってくる「きみ」が20篇の詩にふれてあれこれ話していく
この2人の関係性が本当に魅力的で、なおかつ自然と暮らしのなかに詩があって
えだまめ、カップラーメン、草むしりとかと地続きに詩がそこにあるんだなって思った
特に印象に残った項の感想を書いていくことにする
最初の項では「全然」という言葉の後ろには否定する言葉が来るのが正しいと先生に言われたきみがぼくの家にやってくる
わたしは「全然大丈夫」という言葉が好きだから、きみの気持ちがよくわかった
文法的に間違っているが、自分の気持ちをまさに表しているのが「全然大丈夫」だからこれからも使っていいんだって、スッとした
相手に伝わって欲しいわたしの気持ちがその言葉になるから「全然大丈夫」と言いたいんだろうな
6つ目の項ではオノマトペについて触れられている
前の職場で若い子がASMRというジャンルの動画をYouTubeで観ている話をしたら、その場にいた方がこんな絵本を紹介した
その場にいた20〜60代のみんなで絵本を回し読みして、この音は本当に美味しそうだねとか、あまり電車に乗らないからピンと来ないなぁとかいろいろ話した
ASMRという動画のジャンルもすごい人気があるし、人は潜在的にこういうものが好きなんだろうってみんなで納得したことをよく覚えている
「きみ」はまだ擬音に対する固定概念がないし、まだ意味として知らない言葉が多いから、音として吸収されている
わたしは最近やたらとタイのドラマを観ているが、このとき「きみ」と同じことが起きているなって思って面白かった
日本語以外の言語を覚えるときも擬音はなんだかすぐに頭に入って覚えてしまうこともあるし、なんだか不思議だね
絵本を紹介してくれた方は、こういう本の読み聞かせは本当に難しいと言っていた
そのときはピンと来なかったが、今考えると確かにそう思う
20篇の詩の中で特に好きだったのはこの2つ
『まつおかさんの家』辻征夫
『ナチュラル・ミネラル・ウォーター』田中庸介
あと金子みすゞの『大漁』の詩のあとの「ぼく」の言葉も好きだった
ほんとうのこと、ってのは、もっとおおきい。それは、ぽつんと、ひとつきりなものじゃなく、もっとおおきなながれのなかにある。(150頁)
あらゆる場面でほんとうってなんだろうって思う
最近もしかしたらそうやって考える機会も増えているかもしれない
だからわたしはわたしの人生という流れのなかでわたしの本当が見つかれば良いな
文章を書くときだけではなく、生きていく中でつっかえてしまうことがたびたびあるがそんなときにこの本を読めば光が差し込むような気がする
夏の間の「ぼく」と「きみ」が描かれていて、他の季節も読みたいなぁ
「わたし」の今年の夏はどうなっちゃうんだろう
ランボーの詩が好きだったゼミの先生に会いたいな
自分のメモ用に著者の斉藤倫さんのnoteとTwitterのリンク貼っときます