チョコレートを奪われた世界で - チョコレート・アンダーグラウンド / 著 アレックス・シアラー -
公園の遊具が無くなっているという内容のニュースがテレビから流れている。
曰く、原因のひとつは近隣住民からのクレームだそうで、社会という場所は認知機能が低下し始めてる人たちの言うことは聞くのに、これから認知機能を育む人たちのことは考えていないんだな、と思った。
遊具もなく、ボールも使えず、大きな声を出してはならず、大きな声を出さずに遊べるゲームをしていると嫌な顔をされる。
いまの子どもたちの置かれる立場は、それはもう窮屈なことだろう。
そんなことを考えていたら、アレックス・シアラーの書いた、チョコレート・アンダーグラウンドという児童書のことを思い出した。
公園の遊具とは全然関係ないけれど、小説の中で子どもたちは「チョコレート」を禁止される。
チョコレートだけでなく、体に悪いものは、飴もガムもハチミツも漫画も、ぜーんぶ禁止。
どうしてこんなことに!
と子どもたちは嘆く。
理由は簡単、大人が選挙に行かなかったからだ。
これはなかなか耳が痛い。
当時は主人公側の気持ちになってお話を読んでいたけれど、今は大人側の気持ちもよくわかる。
例えば、選挙に行かなかった主人公の1人、スマッジャーの父はこんなことを言っている。
「どっちの党も同じようなもんだ。どうしようもない」
もう1人の主人公ハントリーは、母になぜこんなことになったのかを尋ね、以下の回答を得る。
「つまり、多くの人が、投票所に行って投票する手間をかけなかったの。だれもが『ほかのみんなも、あの党に反対に違いないから、自分がわざわざ行くことないさ』って思ったのね。ただ、ほかのみんなも同じことを考えてた。わかる?」
チョコレート・アンダーグラウンド より
選挙に行ったことがないなんてことはないけど、「どこも似たようなもん」という考えも『ほかのみんなも、あの党に反対に違いないから、自分がわざわざ行くことないさ』という気持ちも、身に覚えがある。
そして、その身に覚えのある考えや気持ちのままに行動してしまった結果が、チョコレート・アンダーグラウンドの世界なのだと思うと、背筋がゾクっとする。
冒頭の公園の遊具で考えてみる。
いろんなところから遊具が撤去されてはいるけれど、なくなりはしないだろう。なんて考えていたら、5年後には公園から遊具という遊具がなくなるか、"絶対に怪我をしない!安心安全の楽しい遊具"なんて名前の、それは子どもの成長を育むのか?というものに変えられるかもしれない。
そうなったとき、立ち上がるのは子どもたちなのか、ならないように大人が立ち上がるべきなのか。
本の中では、スマッジャーとハントリーは自分たちの権利とチョコレートを取り戻すために戦っていく。
奪われたのは、チョコレートなのか。
取り戻すのは、チョコレートなのか。
それとも、自由なのか。
軽快ながらも考えさせられるこの本を、今大人にこそ読んでほしい。