
住所のない家族にもてなされ、偶然出会う旅を学んだトンガ
忘れられない家族がいる。
トンガという、小さな南の島に。
彼らの名前も知らない。そして彼らには住所もないようだった。だからきっと、もう二度と会うことができない人たち。
けれども、彼らと出会ったことで、私の旅行観は大きく変わった。
今日は彼らと出会ったトンガの旅についてお話ししたい。

それまでは旅行には「すべき観光」があると思っていた。観光スポットを巡るとか、有名なグルメを食べるとか。せっかく普段とは違うところに行くのだから満喫したい。私もそんな旅行をしていた。
でも今は、計画され尽くした観光も楽しいけれど、それだけで埋め尽くさないでいいと思えるようになった。計画がない分、偶然の出会いが生まれることを教えてもらったのだ。
そもそもどこかも知らなかった
トンガへの道のりは長かった。
フィジーを経由し、二十人ほどしか乗らなそうなプロペラ機が着陸したとき、思わず拍手したほどだ。簡易の荷物スキャンしかない空港、座席シートから驚くほど綿が飛び出している飛行機を経て、私たちはトンガに降り立った。
ニュージーランド留学で知り合った日本人に誘われて、ノリで参加を決めたときには想像もしないほどの冒険が待っていた。

そもそもなぜトンガなのか。私は誘われるまで、正直国の名前すらピンとこなかった。
友人の一人が、クジラと泳ぎたいといったからだったと思う。私が誘われた時には、トンガに行くことは決定事項だった。
よく知らない国に行くのって、なんか面白そうじゃん!軽い気持ちだった私たちは、帰りのサモアへの飛行機が四日に一本しかないとわかってすぐに絶望した。調べる限り何もなさそうなこの場所に、四日間も。
けれどもクジラと泳ぎたいという友人の熱意と、私たちの若い好奇心が打ち勝った。ホームページから見つけられた会社に予約を入れて、ついにクジラと泳ぐ日に。
クジラと泳ぎ、楽園へ
ところで私は、別の場所でホエールウォッチングをしたことがある。沖縄だったかオーストラリアだったか。なぜ覚えていないのかというと、めちゃくちゃに船酔いをしたから。
クジラが大きく姿を見せたとかでみんなの歓声があがったとき、私は目をぎゅっとつむっていた。思いっきり見逃したのだ。
だからホエールなんとかに対して、全然いい思い出がない。今回も行くとはいったものの、どう船酔いに耐えようかばかり考えていた。

そして予約できた現地ツアーは、詳細がわからず始まる前から不安もいっぱい。日本でウェットスーツは試着してから船に乗ることが多いと思うんだけど、ここではよくわからないまま気づいたら船に乗っていて、ウェットスーツに着替えさせられたのだ。
水着を着てきてよかった。安堵する女子勢の横で、固まる男子勢。日本人男性の体重で用意されていたのは、女性用と子供用だったから。
最初は予備がないからそれを着ろと言っていた船のおじさんも、どう見ても入らないと理解してくれたようだった。ウェットスーツは別の船で届くという。漁船みたいな小さな船からそれが投げ込まれたとき、やっと私たちの準備は整った。

「このクジラはいたずらっこみたいね。やめておきましょう。」
クジラを探し続けてやっと見つけた一匹。船酔いからやっと解放されるかと思ったのもつかの間、ガイドさんはそういった。
たしかにじゃれあいのつもりでクジラが迫ってきたら、私たちはひとたまりもない。でも、おいおい、まじか、と思ってしまうのも止められない。早く小型船から解放されたいのだ。
海を探し回って、数十分。やっとみつけた子と一緒に泳がせてもらう。気まぐれにヒレを動かされたら叩かれてしまうかも。緊張するほどに近い。
シュノーケルが苦手な私はほとんど溺れかけていたけど、それでもクジラは壁みたいに大きく、表面はなんだかざらざらして、輪郭は水に揺られてぼやけていた。

念願のクジラと泳ぐことができた。それでも行き先はわからないまま、まだ船はどこかに向かっている。どうやら休憩スポットらしい。
白い砂浜と海が透き通るほど明るい青色。見えてきたのは、無人島だ。
間違いなく人生で見た海の中で一番の透明度。もはや青くもない。水色をさらに淡くして、薄く引き延ばした絵画みたいだった。

クジラと泳いでいつの間にか天国にでも来てしまったのだろうか。冗談みたいな本心が、みんなの口から漏れていた。
大富豪ばかりしていた三日間
トンガの無人島は、間違いなく楽園だった。こんなに美しい場所だとはこれっぽっちも思っていなかった私たちは満足していたし、夢中で写真を撮った。なんならツアー内容もよく知らされていなかったから、あの無人島は完全にご褒美だったのだ。
けれどもツアーはたった一日。あとの三日間を満たすほど、トンガに観光地はない。
私たちは基本的に毎日おんなじものを食べた。チキンか、中華料理屋のつくる名前のない炒め物か。現地のタピオカ芋も試したけれど、ひたすらに繊維を感じるそれを毎日食べ続けることができなかったのだ。

時間だけはたっぷりとあった私たちはよく散歩をした。
散歩の途中、地元の小学生らしき男の子たちが堤防から飛び降りて遊んでいるのを見かける。遠巻きに眺めていたら、いつの間にか友人の一人が誘われて飛び込んでいた。
海に投げ込んだ岩を、もぐって拾う遊びをしているらしい。友人は海水で目を開けるのが痛いと言い、それを子供たちに散々からかわれた。

彼らと会ったのはその日だけではない。翌日も同じ少年を見かけて、私の友人がお昼ご飯に誘った。
彼は戸惑いながら遠慮して、私は友人に対して少し怒っていた。
だって、昨日も会っているとはいえ、どんな子かわからないのに。もし彼が友人まで連れていたら、私たちが支払えるほど余裕もないのに。そもそもこの子がそういう下心で話しかけたのだとしたら、カモにされちゃうのに。
けれども友人は当然のように誘って、そして結局男の子はなにもねだらなかった。大人しく座って、友人の分けたチキンとコーラを遠慮がちに、でも美味しそうに食べていた。

「もしカモにされたら、それはそれでしょうがない。こいついい子だよ。」そう言って自分の食べ物をシェアする友人を見て、私は友人のようにはなれないのかもしれないと思った。それは少し寂しいことだった。
あの子は何をしているだろう。どんな気持ちでテーブルを囲んだんだろう。お父さんはブッシュ(茂み)で働いているといった彼。たくさんの家族のため、将来はお兄ちゃんみたいに出稼ぎに行くからと、私より上手に英語を話した子。
あのときのきれいな瞳が、その優しさのままであることを願う。
現地の家族に出会った日

散歩で行ける範囲には行き尽くした頃、レンタカーを借りてみないかという話になった。大富豪をやりすぎて、みんながめきめきと腕を上げるほど暇だったから。
幸い、一人は国際免許を持っている。せっかくのトンガをもうちょっと見てみようと、久々のイベントの予感にわくわくしていた。
「誰かのパスポートを置いて行け」
カウンターで強面の男性がそう言っている。
何を言われているのか最初は分からなかった私たちも、だんだんと理解した。
保証金の代わりに、一人分のパスポートをよこせというのだ。もしセキュリティが固められた銀行をイメージしている人がいたら、それは困る。日本で言えば、地方の廃墟になったガソリンスタンドを想像してほしい。
ちっぽけな小屋。金庫もない、なんなら人も常駐しているか分からないところに日本のパスポートを預けるなんて、ほとんど人質にとられたみたいなものだ。
押し付け合いの結果、更新時期が近い友人が選ばれた。申し訳ないけど、だれも譲れない。なんとか借りたレンタカーは、おんぼろではなかった。

トンガの道は真っ直ぐ走れない。そこかしこが陥没していて、コンクリートのはずなのに落とし穴になっているから。
「日本とドイツの道路はすごい。」
後から現地で聞いた話だ。ほかの国が手抜き工事をすると、ぼこぼこ道路に穴があく。彼らは嘆いていた。国際協力の名のもとの開発は、私が知っているよりずっと根の深い外交問題のようだった。
神経をすり減らす道路と、長旅の疲れ。そろそろ四人の間にもぴりぴりした空気が流れ出したころ、なにやら景色の良さそうなスポットについた。ほとんど情報はなく、ただその場所には名前がついているようだ。車を止める。
すると、何かを言いながら一人の男性が近づいてきた。

しまったと思った。いや、終わった、のほうが近い。
そのくらい屈強な男性が、大きな声で何か言っている。ここはソーリーだろう。後ずさる用意をしたとき、その人が言った。
「ここはうちの敷地だ!…案内してあげよう」
私有地だったのか。でも怒られてるわけじゃないらしい。それとも危ないひとなのか。いろんな考えが一気に頭をめぐる。
若干腰が引けているものの、ずんずん進むその人にとりあえずついていく。有無を言わせないその足取りで、気づいたら崖の上にいた。
足がすくむほど、濃い青とゴツゴツした岩場。そこになんてことないように腰掛けたひとが、その土地の所有者のようだった。

気づいたら男性は二人になっていた。
「君たち、ココナッツジュースのんだことある」
質問されたと思ったら、ひとりがヤシの木に飛びついた。のぼり棒の要領で細い木に登っていく人を初めて見た。あっという間に六メートルほどの高さまで上がり、いくつかの実を落としてくれた。
その場で作ったココナッツジュースと、それから男性陣が料理してくれたタピオカ芋、そしてスイカ。

「火を使う体力仕事だから、ここでは料理は男性の仕事よ。」
おばあちゃんの言葉を英語に訳してくれたのは、その家の小さな女の子だった。彼らは自給自足で、女の子は学校に行けていないけれど将来のために英語を学んでいると言った。
料理を待つ間は、おばあちゃんと女の子を介してゆっくりお話しする。
「豚は家畜にはしないの、家族だから」
「ファミリー」とだけ単語で言ったおばあちゃんは、包み込むような笑顔だった。

トタンでできた大部屋だけの平屋の家と、お皿に並べられたスイカ。
そのギャップに、私はまたも困惑した。高額な請求を受けはしないか。なにかの団体に引き込まれるのではないか。
そうでなくても、彼らも日々食べるわけではないというスイカを旅人がもらってしまうこと、初めて会ったのに何もかも与えられていることが申し訳なかった。
「なんでそんなに僕たちに色々してくれるの」
たまらなくなって友人が聞いたとき、おばあちゃんは一言だけ言ってくれた。
「キリスト教の教えだから」
変わらない笑顔だった。
結局最後まで、彼らと楽しくピクニックをし、お父さんのボクシングを見せてもらい、語り合って終わった。

私たちが日帰りドライブで持っていたのは、少しのお金と貴重品くらい。想像もしていない出会いで返せるものが思い浮かばない。
お金を払うのは、なんだか違う。それが温かく迎えてもらった私たちが出した結論だった。今でも正解はわからないけど、もてなしの心をサービスにしたくなかったのだ。彼らの好意に返せたのは、その場でかき集めた日本のお菓子だけだ。
彼らはどうしているだろう。おばあちゃんはまだ元気だろうか。

トンガの旅をきっかけに、私は期待したものをただ満たすための旅行をやめた。予測できない出会いこそ忘れられない自分だけの体験をつくると知ったから。
行きたい場所ややりたいことはあるけれど、それだけで計画を埋めないようにする。計画をゆるやかに立てることで、想定外ももっと起こりやすくなるはずだ。
そして、この旅の中で人を信じることの難しさも教えられた。
旅人はあんまり無防備ではいけない。それはもちろんだけれど、もし自分が与えることができる立場なら、返せる余裕を持っていたい。
友人は少年に友達として接していた。一方で私は、貧しい相手とどこかで思って、偏見を通して相手を見ていたのだと思う。トンガでは何度も何度も、自分のできれば見たくない面にも気付かされた。
きっと出会いがなければ、私は旅先でのまごころにもっと鈍感なままだったと思う。今でも警戒心は高いままだけれど、交流への感謝と笑顔は惜しみなく表そうと誓っている。

もしもあなたが旅人なら、SNSでは書かれていない自分だけの出会いをみつける旅をしてほしい。
旅に出ないなら、あるいは旅先でも余裕があるのなら、普段街を歩くときの表情をほほえみに変えてみてほしい。そしてできるなら、困っている人に手を差し伸べてみてほしい。
もしかしたら、彼らにとってあなたがその旅の、あるいは国の代名詞になるかもしれない。
毎日食べたチキンの店より彼らの表情を、今でも私が覚えているように。
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