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20代、こんな絶望でもまあいいのか/『20代で得た知見』を読んで

絶望の時代に生きていると思っていた。絶望の20代だと。

というか、実際に読了後の今もその感覚は拭えていない。日本のニュースを垂れ流していると気が狂いそうになる。お前たち若者なんて幸せになるな!奴隷になれ!と言われているのではないかと錯覚する。

脱却する糸口も特段見つからず、リモートワークで目を虚にさせていた私は形容し難い焦燥感に駆られていた。もうだめかもしれない、だめになっちゃう、と。ところがこの本を読んで、20代なんて最悪でもいいのかと、ほんの少しだけ楽になった。

一向にニュースは明るくならない。このキリキリとした痛みを引き受けてくれる人はもはや誰もいない。声は届かない。夢は叶わない。それを一手に引き受けて、でも諦めることをまだ学んでいなくて、だからこそゆるい絶望が続いてしまっても、私たちはこれからも生きるんだろう。

でも、それなら最悪の20代を、私はこれからも往生際悪く文章にしてやろうじゃないか。


***

20代で得た知見。周囲にお勧めしている人が何人かいたから読んでみた。

明日からも頑張るぞ!とは思わなかったけれど、少なくとも文章は進んだ。なんとなく、愛するものはちゃんと愛してくだらないことを積み重ねて、で、そんなふうに生きようと思えた。それがよかった。

だって、一過性のエンジンよりよっぽど素晴らしい。

明日から一生懸命頑張らないといけないと、ありもしないエンジンをふかすような自己啓発本はたくさんある。でも、「あの人にちゃんと好きと言わないといけないな」と連絡したい人の顔が浮かんで、それに救われて明日起きるのが少し憂鬱ではなくなるというただそれだけがいい。

これって、救われたということだろうか。

そんな大袈裟なもので言い表したら嫌がりそうな著者だが(独断と偏見)、私が眠りにつく前に感じた微かな軽さは、きっとそういう類のものだ。


ちなみに、こんなミーハーな締めで良いのか迷うが、結構おすすめである。


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備忘録として

「幸せって大きく分けて2種類あると思う。1つは日常に帰ってくるための非日常の幸せ。もう一つは、非日常に行くための日常の幸せで」と言う友人がいた。

35ページ

彼女のこの話を思い出す度、好きな相手に謎を残すこと、意味不明であることの大切さを思うのです。私たちが夢中になるのは、全てを語ってくれない人ですから。

40ページ

なんだかだめだなって思った人は、大抵だめじゃないですか。
めっちゃいいなって思った人も、大抵だめ。
でも、何かいいなって思った人は、ずっと何かいい。
私たちは、私たちが思う以上に「言葉にならないもの」を愛しているのだと思う。

54ページ

人は、自分が優しくされた方法でしか、人に優しくできない。〜
なるだけ、たくさん読んだほうがいい。読んだ本の数だけ、言葉が、孤独が通じる人の数が増えるからです。そして、面白い本に出会ったら、なるべくたくさんの人に薦めた方が良い。あるいは大切な1人に贈ったほうがいい。

78−79ページ

難しいことを、難しいままに語ってくれる人が、誠に信用できるのです。〜
発信するときは、容赦なく発信しなさい。お相手の知性を見縊らず、善意も悪意も全開にしなさい。オレンジを振り搾る時は、全力で振り搾る。それが本当の優しさです。

135ページ

東京は、遊びに行く場所ではないと思う。食べて飲んで暮らして、話して、恋して、でも、他人を他人のまま。泣いて泣いて泣いて、それでも千夜に一夜、心から救われる夜がある。そんな場所だと思う。遊びに行く東京は、東京じゃねえよ。

169ページ

あぁ、なんだか小恥ずかしい。なので、もっと破廉恥な、岡崎裕美子さんの素晴らしい短歌を最後にして、この身勝手な随筆終わります。
「体などくれてやるから君の持つ愛と名のつく全てをよこせ」

218ページ

触れなかったものの方が、もしかすると忘れがたいものかもしれないのです。それでも、触れることをやめることはないのだろうけど。

233ページ


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mayu
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