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小泉綾子著『無敵の犬の夜』感想

 読んだあと、思わず走り出したくなるような本でした。


「強くなったらもう誰も俺をバカにしない。恐れられ尊敬される世界。最高やん。きっといつか、もしかしたら」
 北九州の片田舎。幼少期に右手の小指と薬指の半分を失った男子中学生・界(かい)は、学校へ行かず、地元の不良グループとファミレスでたむろする日々。その中で出会った「バリイケとる」男・橘さんに強烈に心酔していく。
 ある日、東京のラッパーとトラブルを起こしたという橘さんのため、ひとり東京へ向かうことを決意するが――。

『無敵の犬の夜』あらすじより

 主人公の界は祖母と妹の三人で暮らす男子中学生である。幼少期に事故で指を失った過去は思春期の少年に暗い影を落とし、彼は指の話をされることをひどく嫌っている。
 将来に対する希望も持てず、ただ悶々と"いま"を生きる界。教師にも指のことを馬鹿にされ、ついには学校にも行かなくなり、そこに未来はないと知りつつも不良たちとつるむのをやめられない界の絶望が肥大化していく過程は読んでいて辛かった。
 そんな彼を救ってくれたのが、イケてる先輩橘さんである。ほかの不良たちとはどこか違う橘さんの生きかた、考えかたに界は次第に影響されていく。
 その橘さんが、東京のラッパーとトラブルを起こして命を狙われていると聞いた界。彼は橘さんを助けるために単身東京へ向かう。

 北九州が舞台ということで、読んでいると子どものころの記憶が次々と甦ってきた。
 僕も九州の片田舎で生まれ育った人間だが、確かに地元にはちょっとイケてる先輩というのがいた。一つの田舎町に一人はそういう先輩がいるものなのかもしれない。そういう人のまわりには弟分みたいなやつらがいて、たとえば先輩がBEAMSを着だすと彼らもこぞってBEAMSに駆けこみ、本物かどうかもわからないシルバーアクセサリーをつけ始めると彼らも安物のアクセサリーを買い漁るわけである。
 田舎で過ごす思春期は窮屈だ。たとえ子どもの未来が無限の可能性に開かれていても、田舎にはそのすべてを受け入れるだけのキャパがないからである。田舎という小さな重力場で可能性が押し潰される息苦しさとともに、彼らは制服のサイズを一つ、また一つと大きくしていく。こんな町クソ食らえとうそぶきながら、進路希望調査書に投げやりな字で現実的な選択肢を書き殴る。そういう緩やかな絶望を抱いて田舎は回っている。

 ただ、界はそうではない。彼の絶望はあまりにソリッドで、強烈で、残酷だ。だからこそ、心のなかには誰よりも強力で鋭い衝動を抱えている。橘さんに「子犬系のイケメン」と褒められても、界は喜ばなかった。もしかしたら、界は犬なんかじゃなく狼になりたかったのかもしれない。誰よりも孤独で、誰よりも強い狼に。東京へ単身乗りこむ無謀をおかす界は、まるで田舎という絶望から逃れ、希望に必死で食らいつこうとする獣のように見えた。

 狼の心を持ちながら、けれども狼になれない犬は、まさしく無敵の犬ではなかろうか。
 めちゃくちゃ面白かったです。

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