70日連続投稿しながら思ってること
朝書く習慣が、いつの間にか夜書くようになっていて、良くないなあと思う。でも今日で70日連続だったかな?続いているのは喜ばしい。2ヶ月ちょい前は、新しいことを始めたことで意気込んでいた。5:00〜6:00、1日のあたり1時間しかとれない、最も貴重な部位を使っていた。この時間帯は、生産性が最も高いため、進まない仕事や、思いつかないアイデアを解決させるのに適している。毎日、文章書いて外部に晒していくって、個人的には新しい挑戦だったから、1日のカマトロの部位をnoteに捧げていた。かなりのエネルギーを使って、1日1更新が軌道に乗ったのだった。しかしなんか、毎日書いてるうちに、朝以外にも、割と無理なく書けるようになった。毎日更新することで、①随分と書く筋力がついた。たぶん。そして、②書くことに対して肩の力がいい感じに抜けた。①②相まって、何時でも、どんなコンディションでも、投稿画面を開けば何かしら、ヌルヌル文章を生成できるようになった。2ヶ月前の文章と、いまの文章は、なんかやっぱり雰囲気が違う。どっちが良いか悪いか、よくわからないけど。続いているのは我ながら偉い。僕は定期的に内省しないと、脳みその毒素が分解されないまま蓄積して死ぬんだけど、毎日モノを書くようになってからは脳のコンディションが良い。たぶん、仕事にも家庭にも、いい影響を与えている。最近の夫婦関係は悪くなく、妻が僕のアメリカ出張の報せを聞いて機嫌悪くならなかったのも、無関係ではないと、勝手に思う。ちゃんと自分と向き合う時間取れてるから、それ以外の時間、ちゃんと家族とも向き合えている。日常の理不尽とかストレスをうまく空気中に逃がせているから、脳内に毒素がたまらないのであった。ジャン=ミッシェル・フォロン展では「絵を書くことは呼吸をすること」と書いてあった。画家ってのは、僕がいくら脳みそを歩き回っても言語化できないぐちゃぐちゃを、1枚の絵で、非言語で僕らの前に提示してみせるからスゴイなぁ。画家は絵で、写真家は写真で、音楽家は音楽でそれをやる。「呼吸をすること」ってのはよく分かる。今の僕にとっても、文章を書くのは呼吸をすることで。止めると死ぬ。呼吸の品質なんて気にせず。まずは呼吸をし続けることが優先なのだ。でも当初の理念に立ち返ってみれば、僕はやっぱり朝文章を書くべきなのだ。自分にとって1番大事なことだから、1番大事な時間を使ってやる。朝の静寂のなかで、誰にも邪魔されず文章を作る、村上春樹的人生こそ、僕が当初望んで、得られていたものであった。書くハードルが下がったのはいいけど、片手間でやるのは、人生の、あるべき形ではないのだった。ですからして、また朝方に戻していければと思います。1132文字