「働き方」と「休み方」の多様性
「自分が本当は何をしたいのかが、わからないんです。」というクライアントさんのお話を伺ってきて、最近思っていることを書きます。
まず、「わからない」と自覚し、気がつかないふりをしてないの、
すごいことだと思います。
そんな、しんどい、哲学的なこと考えるのを避けるために、
他のことで気を紛らわそうとするってのが人間(の習性)です。
(そのための娯楽がワンサカありますし)
あえて、そこに向き合っているの、偉いと思います。
私はセラピストで、クライアントさんが本心(潜在意識)に
気づくお手伝いをするのが仕事で、
「あ、私、休みたかったんだ・・・」
と気づかれる場面にしばしば立ち会います。
「わからない」と自覚しているということは、
「実はわかっているけど、わからないでいたい」
という心理が働いている場合があり、
「まずは、休ませてほしいんだけどな」
という本音が、視界を遮る霧(もやもや)をかけている状態です。
で、「休んだら解決!」で済めば良いのですが、
そうもいかなくて・・・
どのくらい休めば、その人の本音さんが納得して
あなたの本当にやりたかったことを隠すのをやめてくれるかは
人それぞれで。必要期間は、本人にもやってみないとわからない。
無期限で休むことができる環境にある人ってそう多くない。。
(私も経済的な理由から、若い頃、全然休めなかったです)
さらにですよ、、
社会的には休んでいる状態でも、
その人自身が、罪悪感なく休んでいないと、
せっかく休んでも、効果を十分には得られときております(難儀)
例えば、お国によっては、一ヶ月超えの
バカンス(休暇)が義務だったりしますよね?
そんな話を聞いた時、YouTubeなんかで見かけた時に、
「いいなぁ〜」「私だったらどうやって過ごそう?」って思う人と、
「一ヶ月も休むなんて贅沢」など、ネガティブなこと思う人とでは、
休みの「質」が異なるわけです。
自分を見つけるための「自分探しの旅」はお勧めしていないと、前回書きましたが「自分に戻るための旅」は、心の栄養になると考えています。
(「旅したい」と思ったら、ですが)
休むこと、何もしないことを自分に許可したら、
「あ、あれやってみよう」
と思えるようになったと言うクライアントさんたちから、学んだことです。
傾向としては、40代以上のクライアントさんに多いのですが
「仕事をしていないなんて、世間様に恥ずかしい」
「働いていない自分に価値はない」
「怠けているように見られないようにしないと」
と言う意識が強い場合は、
「休み下手」になっていて、
「休んだのに、休んだ気がしない」が転じて
「休みが好きじゃない」
「何かしていないと落ち着かない」
となる場合があるのです。
ちょっと話それますが、お姑さんや職場のお局さんとの関係でのお悩みを伺っていると、その相手が、上記の傾向にあることが多いようです。
その人の中に「怠けているように見られないように」という意識が強くあって、他者からしたら、行き過ぎていたり不要なことを、いそいそとやってしまう(残念なことにそれが周囲にとっては迷惑なことに、、)
何かやって、誰かに褒めてもらえないないと気が済まない、
という承認欲求の一つが強いわけなんですね。
もちろん、その逆の「休み過ぎ」「怠け過ぎ」もあって、
どちらもつまりは「休み下手」。
良く働くためにも「休み方」が上手な方が、生きやすいですよね。
いつも機嫌が良い人って、忙しい時でも上手に休憩をとってます。
労働は義務ですが、休んじゃいけないのではなくて、
「働くこと」と「適度に休む」ことがセットで、義務が果たせる。
当たり前のことですが、なんだかそれを忘れてしまうのは
なぜなのでしょうね。。
国民一丸となって猛烈に働こう!という、
昭和の戦後復興期はとっくに過ぎているはずなのに。
多様な働き方について考えるということは、
当然、多様な休み方について考えることだと思います。
社会的なシステム変更は「待ったなし」なこのご時世。
現在もきっと多くの方々が、
取り組んでくださっていると思います(感謝)
社会システムが変わるのをただ待つだけではなく、
慣れ親しんだ働き方スーツを脱いで、
多様な働き方、多様な休み方を模索していけるのも
この時代に生まれた、凄味かもしれません。
簡単じゃないけれど、いっそ・・・
楽しめたら、お得ですよね(笑)
そもそも「休み」は誰かから与えられるものではなく、
自分の体調や、社会的な状況から判断し、
都度自分でコントロール・設定するものだということを
仕事を通し、改めて学んでいる今日この頃です。
もっと自分のペースで休んでも大丈夫だと思うよ?
っていう寛容な社会でありたいですよね。
昔は、多様性に対応しようとすると、
お役人さんが過労で倒れてしまったと思うけど、
ITだのAIがあるこれからの時代であれば、
誰かが犠牲になることなく、
たくさんの多様性を容認していけますよね。
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