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手持無沙汰な時にスマホを触る人が6割!食事中、歩行中、人ごみの中でスマホを触る人が5割とは、一種の依存症や強迫観念みたいなものかな?

こんにちは、今年の冬は寒いと聞いて困っている寒がりDJムッチーです。

最近、大阪梅田に出かけることが多くなって気付くことは、うつむいて歩いている人の多さ。もちろん皆さん片手には、スマホを持っておられます。
いわゆる歩きスマホの人が多いのだけれど、今見ないといけないほど差し迫っているのなら、止まってじっくり見ればいいのにと思うのですよ。

そんなこと思って暮らしていると、新しいレポートが目に入ったんです。
NTTドコモ モバイル社会研究所さんが、携帯電話(スマートフォン、フィーチャーフォン、タブレット)を持っている全国15歳~79歳男女を対象に、「自身が公衆の面前で携帯電話を使って行っている行動」について調査結果を発表されたんです。
調査設問の中で「手持ちぶさたに携帯電話をいじる」人が最も多く、全体の6割に上ることが分かりました。また、5割弱の人は「食事中」「歩行中」「人ごみの中」で携帯電話を使っていることが分かったそうです。

出所:NTTドコモ モバイル社会研究所 2024年一般向けモバイル動向調査 

テレビっ子の批判に似ている

NTTドコモ モバイル社会研究所さんの調査で、なんとなく思い出したのは、50年ほど前のカラーテレビが家庭に普及したころ騒がれた、「テレビを消せない」子供が増えている問題。「テレビばかり見ているとバカになる!」とよく言われました。想像力の減退が心配であると言った論調もありました。
あの頃も、手持無沙汰でテレビを視てましたね。庶民の家の中に、わざわざ見に出かけないと楽しめなかった娯楽が入り込んだのですもんね。
食事中にテレビを視ている家庭が、批判されたりもしましたが、今はもう過去の事です。
家に帰ると、電灯とテレビをつけてましたよ・・・どこの家も

手持無沙汰は、けっこう大切

今回のようなスマホの関連の調査の結果って、なんとなく警告っぽい色合いがありますよね。電車に乗ると、座ってる人が全員スマホ見てるといった批判的なコメントを見聞きすることがありますけど、スマホがない頃は何をしてたんでしょうね。
僕がサラリーマンの頃は、電車では中年男性は新聞を8つに畳んで読んでましたし、若い人はマンガ読んでましたね。それ以外の人は、なんにもしてなかったかな・・・
学生の頃は、本読んでる人がいたけれど、それ以外の人は何にもしてなかったような気がします。
活字を読むことや、なんにもしないことが問題なくて、スマホを視るのは問題だと考えるのはどうなんでしょうね・・・・

僕は、手持ち無沙汰ってけっこう大切な時間じゃないかと思うのです。少ない情報しか入ってこない状態って、脳が次を欲している状態。
このときに脳に何も与えないと、脳のクリエイティビティ―が発動していろいろ思い描いたり、花歌うたったりしてしまいますよね。
電車だと前に座っている人の設定を創造したりしませんか?
そうして、手持無沙汰ではなくなると、次の世界が違って見えたりします。

西洋古典学者のトゥーヒーは退屈について示唆に富む考察をしています。
「退屈は、知的な面で陳腐になってしまった視点や概念への不満を育てるものであるから、創造性を促進するものでもある。受容されているものを疑問に付し、変化を求めるよう、思想家や芸術家を駆り立てるのだ。」と。
この考察は、分かっても分からなくてもいいのだけれど、僕の手持無沙汰はこんなことが書いてある記事を読んでしまうようなことを、引き起こしてくれるのです。
だから、手持無沙汰にお手軽な方法で蓋をしてしまわないほうがいいと思うのです。

食事中、歩行中。人混みの中 でも手持無沙汰かな

数人での食事中にスマホをテーブルに置かれるぐらい、不愉快はことはないですよね。食事中は手持無沙汰なのでしょうか?
歩行中にスマホ片手なのも手持無沙汰なのかな?人混みの中もです。
メールやLINEの連絡が気になるのでしょうが、食事中も歩行中も気にしなければならない連絡って何なのでしょうね???
SNSが気になるというのもあるのでしょうが、今しかダメなのですかね?。
多分、これは「わかっちゃいるけどやめられない」、中毒や依存症、強迫観念の類だと思います。
精神科医の活躍の時ではないでしょうか?
新種の治療法の登場に期待しましょう!

それでは今日は、この辺で失礼します。
皆さんからのサポート心よりお待ちしています。。。
よろしくお願いします、
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じゃあまたこの次
DJムッチーでした。

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