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多くの人が楽しく生きる社会というのは、多数決なのではないか?

ジョンロールズ 1921〜2002年


多くの人が楽しければそれでいいの?
「みんなが楽しいほう」という時の「みんな」誰のこと?

真面目な人が空気を読まずに真面目なことを言って
楽しい空気をシラケさせると、せっかく楽しいのに迷惑だと思う。

それは確かに真面目な人の勝手な思い込みが暴走する時はある。
しかし、真面目な人がうるさく思うのは、薄す気づいていた自分たちの身勝手さを突かれたからという場合が多い。
これは「正義」という真面目な問題に当てはまる。
功利主義…多くの人が楽しく生きる社会
これは多数決なのではないか?

自分の立場がどんな立場でも同じに扱われる公平さこそ、正義である。

1から理性的に考えることと社会習慣を照らし合わせて考えること
「反照的均衡」
人が自分の条件を知らないつもりで考える
「無知のヴェール」

トマス・クーン1992−1966年 

そもそも発想の転換なんてできるの?
発想の転換とは、新しいパラダイムを見つけることなのでは?

仕事で新しいアイデアが必要なのにそれがなかなか出なくて困った時、発想の転換が必要だとよく言われる。
人は特定の考え方に支配されやすいので、今までの考えを一旦離れて見ることで新しいアイデアに到達できる。
恐らくこのようなことが考えられるのでしょう。
人が意識せずに囚われている考えの枠組みを「パラダイム」と言い、この言葉を用いて言い直すと発想の転換とは古いパラダイムを捨てて新しいパラダイムを見つけることと言ってもいいでしょう。

実際に発想の転換を促す場面で「パラダイムチェンジ」や「パラダイムシフト」だとかいう言い方もよく聞かれます。
近い意味でこの言葉を用いたのがクーンだと言われており

科学は実験や観察で事実がわかってくることで進歩します。
実験で事実が確定できるというのは厳密には誤りです。
そこでホパーは今のところは反証されていない仮説が科学なのだと考えた。

クーンはパラダイムシフトは、単に主流が変わっただけであると言う
実際にパラダイムとは元々「模範」と言う意味で、みんなも模範が変わるのだから、その前のお手本と新しいお手本は単に違うだけでどちらが進歩しているとは言えないと言うのがクーンの考え。

新しいものを見つけるためにパラダイムを変えるのは「万能薬」ではない。
むしろ発想を変えたら進歩できるという思い込みを打ち砕く考えと言うべき。

発想の転換もいいが、地道に考えるのが一番の近道かも知れない。

ミシェル・フーコー1926ー1984年 

本当の自分らしさなんて存在するの?
理性的な生き方や気持ちの良い生き方が本当に自分の望みなのか

もしかすると自分は何かに操られているのではないか
人を陰で操る悪の親玉のようなものがいて、私たちは支配されているのではないか

お金持ちか政治家かはわからないけれども…

その敵を倒せば私たちは自由になれるに違いない。
このような敵を外に見つけるのは簡単で、映画や漫画などでもよく観られます。

しかし、果たして現実はそのようにできているだろうか

本来の私たちと、私たちを操ろうとする外の敵。
こういう図式を一度疑ってみるのはどうだろう

カントは自分を動かそうとする欲望を敵だと考え、欲望を抑える理性が勝ることで自由になると考えました。
ベンサムは誰もが気持ちよくなる社会を目指しました。

しかし、理性や気持ちよさが私たちの本当の望みだとなぜ分かるのでしょう。

本当の敵は外にではなく、理性や気持ちよさと言う姿をとって実は私たちの中にいるのかも知れない。

「自分らしく生きる」ことを強いられている時代なのではないだろうか

権力を持つ一人の王と、それを持たない無数の民。
この見方が当てはまる時代は確かに合ったが、しかし、今は違う。

近代社会は身分差がなくて、一人一人が主体的に生きることができる時代。

しかし、主体的に生きること自体、実は私たちの選択の結果ではなく、そうなるように時代の中でしいられてきた。

例えば、自分が好きなものを買う私たちの自由が
売る側が儲けるためにできた仕組みということはよくある。

現在の権力は人に『自分らしくあれ』と押し付けてくる

『パノプティコン』
囚人を野放しにして、監視カメラだけを配置する。
すると囚人は囚人自身を見張る。
現代はそのような権力がある。
(自分は自分で管理しろという)

ユルゲン・ハーバーマス1929ー 

気持ちを変わってもらえないというとは甘えなのか
人は知らないうちに自由で平等のはずの自分すら見失う。

人と人とが話し合うのはとてもくたびれること。
もし話し合わなければ、一方的に命令されるかだけの関係になってしまう。

わかってもらえないと嘆く前に、真と善と美を信頼して語っているか

公共性とは、自由で平等な個人が集まって話し合っていくことで、近代社会はこれを目指していたのにいつの間にかその目標を見失ってしまいました。
それを改めて目指そうと考えたのが、ハーバーマスです。

そのルールは
真と善と美を信頼すること。

私の気持ちをわかってもらえないと愚痴を言っていても何も生まれません。
話し合うことで現実を良くしていけるという信念が必要なのです。
つまるところこの信念を共有することなのではないでしょうか。


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光治(みつおさむ)
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