光治(みつおさむ)
みつのオススメみてね!
かがやく!
僕は東京都目黒区に産まれた。所謂お金持ちのボンボンである。 親は優しく、学校には友達がいるし、テストでは満点を連発。 テストで満点を取るとお父さんが報酬としてお金をくれた。 高校に上がると、欲しいものは一通り手に入った。 少し慢心。 テストの点数で初めて赤点をとった。 父さんは私を殴った、初めてだった。 「どうだ、悔しかったらやり返してみろ」 父さんは笑っていた。 次の日学校に行くと、隣の席の武志がその顔どうした、と心配してくれたが赤点取ったから父親に殴られたなんて言
あ、書く内容忘れちった。 脳みそ鍛えなきゃなあああ ばか! けど伝えたいことがあったのだろうと思う。 書きながら思い出そう。 うん。 「どうなってもいい。」 でもこれだけはやっておきたい。 それを思いっきりやる! 恐らくこんなことを書きたかったのだろう。
恐らく僕は異常だろう。 以前にも思ったかもしれないが今一度思う。 異常だろう。 異なるのが常。 特別とも捉えられるが、悪い方向に異なっているのだろう。 だが、僕自身は嬉しいのだ。 ちゃんと異なっている。 誰しも異なっている部分があるのに一緒にしたがる。 一緒にすれば、幸せだとか 一緒になれば、正しいだとか そんなものは自己満足だ。 逆もまた同じく自己満足だろう。
そうだこの感じ 今まで何度でもあった。 敗北挫折絶望がラスボスじゃねえ 自分自身にずっと負けてきた 勝てないわけないよ 自分なら 僕がわかってる僕の弱さなら 馬鹿な希望を 始まりはいつも 空っぽ もう一度 もう一度 押しつぶされるたびに呟いて ふと、朝目覚めて聴こえてきた音楽が自分にピッタリで 自分の為に作られた歌だと錯覚する。 それを運命を呼んだらば、それを言い訳にしたらば、身体が熱くなってくる。 それでいい。 むしろそれだけでいい。 この瞬間がこの瞬間だけ
孤独感 なぜか心地のいい孤独感がそこにはあった。 世界に自分以外誰もいないみたいな感じはしないのにちゃんと自分は存在しているという感覚 ひとりぼっちみたいなことではなくて、今、生まれた感覚に等しい。 今までは孤独ではなく、殻の中というかルールの中で踠いていた気がする。 それが、結婚する、仕事をする、子供を産む みたいなルールだったのかもしれない。
特に話はまとまっておらず、ただ、文字にして記録するという目的のみで文章を書いてみたが、全くもって虚しい。 ほんの少し進んでいるように錯覚をするが、ただ、「書く」ということだけに自分の信じる道があると思い込んで進むしかない。 坂口安吾の「堕落論」を読み始めたのだが、そこに「運命」という言葉があり、その言葉にときめく自分になんだか呆れる。 けどなんだか嬉しい そんな今日である。
結婚する 恋愛する 仕事する 誰もが当たり前にしていることに疑問が湧いてくる 余計なことだとはわかっているし そんな疑問なんて考えたって仕方がない でもある日、プツリと線が切れたようにその日が訪れた。 愛子の母が体調を崩し、愛子は実家とを往復するようになり、僕は仕事と家の往復。 一緒に生活をしない時間が増え、結婚生活の意味を考える。 「一緒に生活しないのなら、結婚した意味はないのではないかい?」 「そう言われたって仕方ないじゃないの。」 後日実家帰りに話があると呼び
https://note.com/mtosm315/n/n20cc07b79f39 感情かそれとも思考か それとも暗示か 今まで選んできた道が自分で選んだように思っていたけれども、それは誰かが自分に暗示をかけていたのかって思うことがたまにある。 振り返ってみると父が僕に今日この日までの行動、選択を操っていたのかもしれないと思う。 これは人のせいか、人のせいって悪いことなのか?
この言葉を見た人間はこう思うだろう。 「犯罪者もしくは、犯罪者予備軍」 人間の生活で自分とわかる印が名前だったり、肩書きだったり、住所だったりする。 昨日Twitterをしていて面白い文章を見つけた。 あ、マルクス・アレリウス。 この前勉強した哲学だ。 見つけた。 「人は皆、運命に逆らえない中で考える」 住所不定無職の人間と石ころは同じかもしれないし、違うかもしれない 全部思考が作り上げた。
一度自分に甘えると、とんでもなく可愛いもんですよ 自分って。 憎たらしいくらいに 赤ちゃんみたいに 赤ちゃんてね、自分で初めて描いた絵とか、初めて行く場所、初めて感動したこと、その儚くて、嬉しくて、時間と一緒にどっかに忘れちゃう記憶みたいなもので、記憶ってのは厄介でね、なあんか、実態があるかのように勘違いしてしまうし、その勘違いに気づく頃には、記憶じゃなくて、穴ぼこみたいなのよ 必死よ! 苦痛に必死! 無能に苦悩! 転んでも転んでも、手足が生えちゃってるし、重力があるから
初めまして、水野夢子の母です。 水野夢子は23日に亡くなりました。 生前、お世話になりました。 感謝申し上げます。ありがとうございました。 ご報告が遅い時間になりまして申し訳ありません。 これにて失礼致します。 この連絡に気づいたのは25日 テレビ番組で連絡をあまりしていない人物に連絡をしてすぐに返事を返してくれるのかという企画のバラエティを見て、ふと気になり、私も同じように連絡したらばどんな返事をくれるだろうかと携帯を見てみると、水野夢子は亡くなったとの連絡。 し
16作品というか 16日連続で哲学について書いてきました。 全て読んでくださった方はいらっしゃいますでしょうか? ありがとうございます。 まず、学んでみてどう思ったか。 1、持論の語りは最高だ。 哲学は「自由」や「幸福」「真理」「愛」「理性」「社会」などかなりたくさんの価値観が正解か不正解かではなく、どう肯定するのかということを突き詰めているように感じを受けました。 どうでしょう。 皆さんは持論はありますでしょうか? 「野菜を食べないやつは不健康だ!」 とか 「趣
ジョンロールズ 1921〜2002年 多くの人が楽しければそれでいいの? 「みんなが楽しいほう」という時の「みんな」誰のこと? 真面目な人が空気を読まずに真面目なことを言って 楽しい空気をシラケさせると、せっかく楽しいのに迷惑だと思う。 それは確かに真面目な人の勝手な思い込みが暴走する時はある。 しかし、真面目な人がうるさく思うのは、薄す気づいていた自分たちの身勝手さを突かれたからという場合が多い。 これは「正義」という真面目な問題に当てはまる。 功利主義…多くの人が楽
カールポパー 1902〜1994年どうして迷信に騙されてしまうのか。 「神がいる」という考えは科学ではない。 しかし、これは神がいないとわかったからではありません。 もしかしたら神はいるかもしれません。 それは科学的知識ではない。 科学とは、反対もあり得るのに「今のところ有効が出ていないこと」 しかし、これは神がいないとわかったからではありません。 反対にも言えるため、科学ではない。 血液型診断や新興宗教の迷信。 ジャンポール・サルトル 1905〜1980年 計画
https://note.com/mtosm315/n/nd9b8ffbda8fe?sub_rt=share_pw ジクムント・フロイト 1856〜1939年 だいぶ近代的になってきた。 なぜ、家族に縛られるのか 人は家族関係の中で「無意識」と「自分」を形成する。 母親と一体化していた「無意識」 父親が入ると「欲望」があると知り ↓ 父親の命令の範囲内の「自由」と「自分」 ↓ 範囲外の「不自由」は残っている。 (これが無意識の中核) 家族が縛られることが避けられない