近内悠太著『世界は贈与でできている』の感想
近内悠太著『世界は贈与でできている』の感想です。
佐伯ポインティ(信頼が厚い)のポッドキャストでおすすめされていたのをきっかけに読んでみました。
内容も構成も自分に大ヒットしたので、感じたこと、考えたことを書いていきたいと思います✍🏻
贈与は受け取ることから始まる
この本の中で贈与とは、「お金で買えないもの、そしてその移動」と定義されていました。
贈与は受け取ることから始まります。その受け取り方も様々あり、喜びを伴うものだけでなく、「受け取ってしまった…」という負い目や罪悪感さえも時に人を突き動かす原動力となるそうです。
「あの時あの人から受け取っていたんだな」という時間軸を超えたものでも、「わたしは社会から恩恵を受けている」という大きな概念でもよくて、とにかく贈与は自分が受取人であると気づくことから始まるのだと。
何も受け取らずに贈与を始めてしまうと、贈与者が破滅するほどの悲劇を呼び起こすのだとか…。
自由な社会の正体
前半で特に印象的だったのがこのトピックです。
「ひとりで生きていける」ということは良いことのようにされていますが、実は「誰からも必要とされない」という孤立をも意味します。誰にも頼ることができない、そして誰にも頼られない世界。わたしたちはそれを「自由」と呼んでいるのかもしれないという。ゾッとしちゃいますね🧟♀️
著者によると、いざという時に「助けて!」とSOSを出すために必要なのは、「日常的に自分が何かに貢献している」という贈与者としての意識ではなく、「日常的に自分が何かを享受している」という被贈与者としての意識なんだそうで、
この主張について、「ん、逆じゃない?」と一瞬でも思った自分のいかに傲慢であったことか。
実際、わたしは人に助けを乞うことが苦手です。それは被贈与者の意識の欠如からくる可能性があることを、この主張から思い知ることができました。
与えている以前に、わたしたちは受け取っている。
この意識は、社会を温かいものとして頼り、頼られながら生きていくために必要なものだと感じました。
人間関係における贈与
贈与論は人間関係にも当てはめられます。
例えば、「わたしはこれをしたけど、あなたは何をしてくれるの?」と相手からの反応を期待すること。これは贈与ではなく、交換になると著者は言います。
この本を読んで改めて、交換ではなく贈与という感覚で人間関係を紡いでいきたいと感じました。それも、「贈与を始める側」ではなく、「贈与を受け取り、無自覚にそのパスを繋ぐ側」の人間として。
giverでもtakerでもなく、being givenの意識に突き動かされる無自覚のgiverみたいな。
作品鑑賞と贈与
第7章「世界と出会い直すための逸脱的思考」も心に残りました。
中でも、「アノマリーから始まる探求」というトピックは、今熱心に観ているアニメ「チ。-地球の運動について-」と重なりました。
SF作品はどうしてこうも知的好奇心をかき立てるのか。逸脱した世界観に没入して想像力を働かせることの効用について、初めて論理的な答えを得た気がします。
他にも漫画やアニメ、ドラマや映画など架空の世界を描いた様々な作品を鑑賞し、現実の世界で日常的に受け取っている贈与に気づくきっかけを積極的に探していきたいです。
まとめ
全体を通して、「贈与の本質を的確に伝えよう」という著者の脈々としたエネルギーを感じました。それでいて自然で、押し付けがましくなく、とっても分かりやすいんです。その物言いがまさに「気づいたら受け取っていた」という著者が主張するところの「贈与のあるべき姿」を体現しているようでした。
トピックは細かく分けられており、それぞれに身近な事例が挙げられているため、次から次へと「もっと知りたい!」「面白い!」が湧いてきます。
(エルサが魔法を見せてくれてる時のアナの気分🪄)
神学、哲学、心理学、文化人類学、経済学、化学、数学など多分野からの引用も豊富で、情報の厚みがもたらす説得力に圧倒されました。
『世界は贈与でできている』は著者の言葉通り、目の前に広がる世界ともう一度出会わせてくれる作品でした。
贈与の受取人としての想像力を磨き、温かい気持ちでこの資本主義社会を生きていければいいなと思います。
時折思い出して読み返してみたいです📚