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【読書感想文】城の崎にて

この作品には現代国語の授業で習った。
さらに、この作品は今回のテストの範囲でもある。
なので、この作品の復習をしつつ(自己満足)、紹介をしたいと思う。

作品紹介

城の崎にて」(きのさきにて)は、志賀直哉の短編小説です。
1917年(大正6年)5月に白樺派の同人誌『白樺』に発表されました。
日本の私小説の代表的な作品の一つとされており、
心境小説としての趣が強い。

白樺派とは人道主義(人間性を重んじること)、
理想主義(理想を立て実現しようとすること)、個性尊重などを唱えて
自然主義(理想化を行わず、醜悪なものを避けず、
現実をありのままに描写しようとする立場。)に抗し、
大正期の文学界の中心的な存在となった。

また、白樺派は、1910年(明治43年)創刊の文学同人誌『白樺』を
中心にして起こった文芸思潮の一つです。
そして、その理念や作風を共有していたと考えられる作家達のことである。
例えば、白樺派は志賀直哉以外に有島武郎、正親町公和、
園池公致、木下利玄、里見弴、郡虎彦、長與善郎がいます。

志賀直哉はリアリズムで簡潔かつ正確に作品を描いていました。
その作品は現代日本の口語体文章の一つの到達点と評価された。
そして、それらのような作品を生み出す志賀直哉は、
芥川龍之介のような同時代の代表的な作家たちからも
小説の神様と呼ばれた。

あらすじ

「城の崎にて」は著者である志賀直哉が
電車で引かれてけがをしてしまいます。
その後養生として城崎温泉(兵庫県富岡市)に出かける話です。
その中でいろいろな生き物の死を目撃して
筆者の「死に対する考え」が変わっていきます。

読書感想文

※この先、少しだけネタバレがあります。
自分はこの作品を読んで死について考えさせられました。
自分はいつ死んでもいいと思っています。
(そう思うようにしています。)
なぜなら、自分の人生に後悔をしたくないから、
そう思うようにしているし、そう思えるように日々過ごしています。

城の崎にてでは
「生きることと死んでしまっていることは両極ではなかった。
それほどに差は荷ような気がした。」と記されていました。
つまり、生物の死は近く紙一重で同じようなものなのです。

自分も深く納得できました。
この作品でも、死ななかった自分(志賀直哉)は
数十センチ場所が違えば死んでいただろうし、
死んだイモリは数センチだけ石の場所が違えば死ななかったのだ。

最後に
「自分は脊椎カリエスになるだけは助かった。」という表現してある。
授業で「「だけは」と表現した理由は何ですか?」と問われた。
しかし、自分は答えられなかった。
そして、自分はその理由に衝撃を受けた。

一つ目は「偶然により生死は決定するため
いつ死ぬか分からないことを示唆するため」だ。
二つ目は「ほかのことには囚われ続けていることを示唆するため」だ。

「志賀直哉スゲー」と思った。(誰目線だよ(笑))

まとめ

「死」に対して考える作品なので興味があったら読んでみてください。



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